『これは経費で落ちません!』にハマったら人生初の恋人ができて結婚した話 その後
またまた前の記事から約1年。
コロナはまだおさまらず、むしろ身の回りで感染者が激増したがなんとか自分は無事という感じだ。 周りの人は大体後遺症含め1ヶ月は苦しんでいたので、やっぱりなりたくはない。
経費〜のドラマの続編はやっぱりないけど、いつまでも待つ。私の数少ない楽しみだ。 小説やマンガが続いているので、それぞれ楽しんでいる。 小説はビジネスシーンの転換期、マンガはきゅんきゅんを丁寧に、それぞれ描いてくれるのでそれぞれに良い。
さて、自分はというと第一子を妊娠した。 経費〜のドラマを見ていた頃には想像もしてないなかった人生の展開を迎えている。
7年間、駆け抜けてきた仕事はまもなく産休に入る。
正直手応えよりも反省点の方が圧倒的に多い7年間だったが、それでもいざ、初めて長い休みに入ると思うと言葉では言い表せない不安がある。
所属先は残るとはいえ、少なくとも約1年は現場から離れることになる。 引き継ぎは上手くいくだろうか、新体制はどうなるのか、毎日仕事を休むとなるとどう過ごせばいいのか、お金は大丈夫だろうか、復帰のし方をどうするか、うまく復帰できるだろうか。。
さらに、産む頃には収まっていると信じいていたコロナがまだ収まらないことで、立ち会いや面会ができない出産。
それにまだまだ安定しない世の中。
最近ではロシアとウクライナの問題で心が痛む。 民間人の苦しみは他人事ではないし、子どもが巻き込まれている情報も多く無力感を感じる。
正直日本にいるとどちらかに偏った情報ばかりが入ってくる傾向もあり、それもまた苦しい。
夫は相変わらず優しい。 私には勿体無いくらいよくできた人だと思う。
2人で日々大きくなるお腹を撫でたり、出産準備品の用意をすることはとても充実した毎日だ。 出産に伴い色々なリスクも出てきて夫にも協力してもらわないといけないことが出てきたのだが、その前から何もかも一緒に考え行動できる関係ができていたので心配はなさそうだ。感謝しかない。
そう、お互いや新たな命のことを考えているときだけはとても心が穏やかにはなる。
でもふと世の中を見た時、私は心をどこかへ持っていかれそうになる。
元々、自分の人生や生きることに関して人よりも執着のないタイプだと自覚していた。
楽しいこと、好きなことは多々あれど、ふと冷静になった時に譲れないものは何かと考えても正直出てこない。 どこか乖離した自分がいて、常に外から自分の言動をとても他人事のように見ている感覚があり、特に学生時代はそれに悩んだ。
簡単に言うと、"自分"がない。
自分よりも他人が気持ちよくいてくれることに言動の意味を見出すタイプだった。 聞こえはいいが、経験上それは時として矛盾を生み、結果自分を苦しめる。
なので、私の人生はあの時どうしてああしてしまったのか、みたいな後悔や罪悪感ばかりが残りがちだ。
なので今も、1人の時間には過去の自分への後悔ばかりが先行し、気持ちが暗くなる。
夫がいない時に、今やこれからのことを考えることは難しい。
おかしい、ずっと1人で生きていたはずなのに。
誰かと一緒に生きることを知ってしまった今、自分ひとりで自分や周りのことを考えることが難しくなってしまったのだ。
一度乖離していた心が徐々に自分に近づいてきたのに、夫と出会うことで今や未来を考える自分の登場と共に、その影として再び現れてしまった気がする。
むかし、支えてくれる夫や恋人がいるのに心を病む人の気持ちが私にはわからなかった。 頼る人もなくがむしゃらに働いて趣味を楽しみ生きるしかなかった自分には、病むことを遠ざけようと必死だった。
今ならわかる。 大切なものが増えるほど、それだけ気持ちが揺らぐ人の気持ちが。
今まで心を痛めるだけだったニュースや情報が、大切な人や子どもの人生にも関わってくるのだという実感。
自分の無力感が、大切な人にも影響を及ぼしかねないという可能性。
この状況になって自分の空っぽさが引き立つというか、学生時代に悩んだ「人は何のために生きるのか」みたいな疑問が再び襲ってくる。
だからといって、何か心が蝕まれる症状が出たり、希死念慮があるわけでもないのだけれど。
毎日、楽しく幸せなはずなのだけれど。
ふとした時に漠然とした不安が頭をよぎる。
それがいまの悩みだ。
森若さんは元気だろうか。
こんな時、森若さんはどう過ごすのだろうか。