思てたんと違うマタニティライフ〜妊娠中期〜

つわり地獄だった妊娠初期を経て安定期に入ると妊娠中期。 あの苦しい日々が嘘だったかのように食欲が戻り、味覚嗅覚が戻り、とにかく食べに食べたのがこの時期だった。

体重はみるみる増えていき、結論から言うとこの期間に10kg近く太ってしまった※注意されなかったとはいえ一気に増えすぎ、、参考にしないでください

仕事にも身が入るようになり(と同時につわり期間の仕事のボロボロさを痛感した…)毎日元気に過ごせた。 お腹が出てくる時期ではあるので電車内で座れるよう通勤時間をずらさせてもらったりはしたが、吐き気がないだけでずいぶん楽だった。

この時期というと胎動を感じるようになってくる。 これまで健診でしか生存確認できなかったのが、自分でもなんとなく「おー今日も元気だな」と実感できるようになる安心感があった。

胎動といえば「あっ!今、蹴ったわ!」みたいなイメージがあるが、実際にはもっと段階的。 初めの頃は、なんとな〜くお腹の奥の方がコポコポ?うにょうにょ?動く感覚で、正直自分の腸の動きなのか子の動きなのかよくわからない。 確証を得られるのが"しゃっくり"だ。胎児はしょっちゅうしゃっくりをする。お腹の中で一定のリズムでピクつきがあれば、これがしゃっくり。一番わかりやすい胎動である。

初めはなかなか動きが表面に現れてこないので、夫に腹を触らせてもわからないようだった。 あと、胎動は母親がリラックス状態にある時の方が現れやすいようで、いざ手を当ててもらうと動きがピタッと止まることが多かった。こども相手の仕事だったので、自分の妊娠を気にかけてくれる子に感じて欲しかったのだが、ついにその時はこなかった。残念…。

中期は子も凄まじい勢いで大きくなるので、それに従って胎動も強くなってくる。 動きも活発になり、エコー診察中に動いたりもするので、見ていて結構面白かった。「生きているな、ちゃんとひとりの人間なんだな」としみじみ思った。

中期の終わりくらいにはお腹に手を当てる夫にもわかるくらいになってきたので、夫も嬉しそうだった。 男親と女親に責任の差などないことは前提として、そしてその女親ですら妊娠=親の自覚になるわけではないことも踏まえた上で、それでも妊娠ということが女にしかできない以上、男の人が親の自覚を持ちにくいのは生物的特徴からのみ致し方なさは感じていた。 なのでその分、夫にはしつこいくらいお腹を触らせた。繰り返すとなんとなく触れた時に蹴り返す様子も出てきたり、音や動きに反応していると思われることもあったので、夫も楽しそうだった。

性別がわかるのもこの頃からで、エコーの角度や子のポーズにもよるが、うちに関して言えば中期に入ってすぐにわかった。広げた股の間に"ついて"いた。

ちなみにそれまで夫婦の間で、性別に関係なく呼んでいた名前があったのだけど、いざ男児だと言われると悩み、どちらからともなく違う名前にしようか…となった。不思議なものだ。身体的性別だけでレッテルを貼るようなことはしたくはない一方で、このように育ってほしいなとも思うので、名付けは難しいと思った。将来、本人の希望があれば変えてくれて構わない。

中期で悩まされたのはお腹の張り。 仕事で動けてしまうので、つい頑張っていた。管理職からは何度か使える休みを使うよう伝えられたが、コロナで人手不足が重なり、またさまざまな点において締めの迫る年度末に休むわけにもいかず、妊娠前と同じくらい残業もしていた。 働いている間は無理をしているつもりもないし、力仕事も軽減してもらっていた。それでも帰る頃にはヘトヘトで、駅まで本来10分以内に着くはずなのに、倍ほどかけて歩いていた。ただでさえ早く歩けない。そして、お腹の張りで何度も足を止めた。

職場にいる間はよくても、移動時は体の変化と疲れやすさ、お腹の張りにずいぶん左右された。 無理をすると出血などにも関わってくるので、やはり理想ならもっと仕事を周囲と分担して定時で切り上げるくらいがよかったのだと思う。奇しくもコロナで叶わなかったが…(休みなく続けて出勤できたのが自分くらいしかいなかった)

駅や量販店のベンチで休憩することも増えた。コロナで間隔を空けなければならないのでスペースは限られたが、それでも座る場所のあるありがたみ。日常生活の中で、呼吸を整えお腹の張りを休めるという時間が必要になってきた。

嬉しい誤算だったのが、なぜか便秘が解消されたこと。 妊娠初期は薬を使わないと出ない、しかし薬ですら吐いてしまう…みたいな悪循環で苦しかったのが、お腹が圧迫されるようになったからなのか薬を飲まなくても2〜3日に一回自然な便意で出るようになった。 実は妊娠前から慢性的な便秘に悩まされていたので、これは意外だった。ただやはり基本は便秘体質で直腸に溜まりやすいのか毎日快便!といかないところは苦しかったな、、残便感というか、毎回固いのを無理やり出す感じでするっとスッキリ!とならないのがなんとも。ただ服薬しないで出るのはとにかくそれだけで嬉しかった。 調べてもあんまり出てこないので、これは自分だけの現象だったのかな…

あとは膀胱も押されるようで、トイレの頻度が上がってきた。元々睡眠時に尿意で起きることなどまずない体質だったのが、夜中に尿意で目が覚めたり、外出先でも尿意を感じるとすぐトイレに行かないといけなかったり…

不便だと思ったのが和式トイレ。いや、たぶん、古の妊婦は頑張っていたのだと思うよ…でも現実には和式しかない駅のトイレに駆け込んだ時に何度か後ろに転びそうになったor実際転んだのでやっぱり公衆トイレに1部屋は洋式欲しいっす…。。皆さま気をつけて…

と、このように悪阻を除けば少し快適になったような気がする妊娠中期だけど(というかつわりの不快さが人生の中でも飛び抜けすぎている)、いわゆるマイナートラブルが一気に増えるのも中期。 安定期に入ったとはいえ胎盤が完成し流産の確率が下がったくらいで、身体としてはむしろどんどん変化する時期なので色んな面で管理が必要になってくる。

今まで健康面に課題が少ないタイプだっただけに、落ちたものをすぐに拾えない、たくさんの荷物を持てない、何をするにも時間がかかる、うつ伏せになれない、休憩が必要…など、"思うによう動けない"ただそれだけでもストレスが蓄積されて意味もなく涙が出ることが増えた。 私は何もできない、こんなんで母親なんかになれない。典型的なマタニティブルーだったと思う。

1年もしないうちに、身体がどんどん変化するのだから、戸惑わない方がすごいと今なら思える。でも渦中にいるとなかなか気づけない。自分に自信がなくなって、気持ちに波が出る。それで何度か夫にも「じゃあどうしたらいいの?」と言われた。「色んなことが不安、ただ話を聞いてほしい」と素直に言えば良かったのに、その時はうまく言葉にできなくて大泣きして困らせてしまった。

つわりのような明確な体調不良がないだけに、自分でも言い表せない心理的不調というか、不安というか。自分が自分でなくなってしまったような感覚があった。

よく、女の人は妊娠できるから母性本能が云々〜と言われるが、あれに関しては自分は懐疑的だ。たぶん母性本能などない。1年近く自分のお腹の中にいたという事実がいやでも責任感に繋がるだけで、本当は大半の妊産婦さんは男親と同等に不安や自信のなさ、戸惑い、わからなさがあると思う。

妊娠生活を送っていて、お腹の子を愛おしく思うようになったのは、たぶん意識的なもの。手放しに愛おしいというよりも、自分のお腹にいるのだから自分が愛でないと、という義務感の方が強いと思う。少なくとも自分はそう。

決して愛情がないとかそういうものではない。ただ、愛情というのが全くの無条件で芽生えるものでもないという体感。 それは、胎動が自分の意志に関係なく感じることからくるのかもしれない。お腹の子は自分の子どもではあるけれど、自分とは確実に全く違う1人の人間であるということ。 その事実が、不安にも愛情にも繋がるのではないかなと思う。

それから、自分の場合妊婦健診に通っていた病院では産めないので後期に入る頃には転院予定だったのだが、出産において多少のリスクがあることが判明したので早まったりした。改めて、お産はリスクと隣り合わせ、命懸けなのだなと実感した。