思てたんと違うマタニティライフ〜妊娠後期〜

後期に入ると目に見えてお腹が大きくなる。 もう完全妊婦。誰がどう見ても妊婦。

そして、動きが一気に鈍くなる。

お腹の下は見えないし、かがむことも難しい。 狭い隙間は通れないし、歩くだけで息切れがする。 階段は登りも辛いが下りも辛い、なぜなら足元が見えないから。 とにかく少しでも動けば大きなお腹に振り回される。そしてそのお腹にいるのは別の人間なので、ボディイメージがいまいち理解できずバランスも取りづらい。そんな感じである。

けれど安産に向けて歩かなければならない。 夫とほぼ毎日散歩に出かけたが、途中で何度もお腹が張り、何気ない距離がとてつもなく疲れる。

そして何故か異様に腹が減る。 思うままに食べていたら9ヶ月に入ったあたりから一週間に1kgずつ増えてしまって流石に注意された。 だって腹が減るし動けないし…

胎動も日に日に激しくなる。 みぞおち、胃、あばら。腹の中でも弱いところを知ってか知らずか勢いよく蹴ってくる子ども。 それはもう、たまに声出るレベル。「うっ、イテテテテ…うぐっ!」と我慢しても漏れ出る。もはや暴力に近い。

たまに腕や足と見られる形が浮き出ることもあって、まるでお腹の中にエイリアン飼ってるみたい…と思った。というか本当に人間入ってるんか??エイリアンがある日突然お腹蹴破って出てくるのでは??と疑った。

ちなみに胎動は臨月に入ると子どもが大きく子宮の余裕がなくなってくるので感じにくくなる、と聞いていたが、少なくとも私の場合はどんどんパワーアップしたし産む直前まで激しく動いているのがわかった。大きかったからかな…

それと、私はそれまで割と無縁だった浮腫が臨月入ったところで一気にひどくなって辛かった。 まずは足。象足までにはならなかったが、とにかく痛くてクッションで足を心臓より高く上げないと寝られなくなった。 日中、通常の生活を送ろうにも3歩歩けば足が痛くてすぐに横にならなければ耐えられない。

そうこうしていると今度は手もむくんでしびれてくる。 寝ながら両手を上げてみたり、お腹の上で組んでみたりするがずっとは辛い。手はどうやっても下ろせば心臓より下がってしまう。左右交代で向き直しながらだましだまし過ごしたが、片手は常にしびれていた。

そして極め付けは顔。顔が浮腫むって私飛行機10時間乗った時以来だったんですけどその比じゃないくらいしんどかった。 とにかく顔がギューッと内側から押されるようになって痛い。誰かに首を絞められているかのように首周りがキツくなってきて、息がしづらい。 枕を高くしてみてもしれているので辛い。 顔がパンパンに浮腫むと命の危険を感じる。立つとましになるが今度は足がめちゃくちゃむくんで痛い。

なのでずっと寝たり起きたりの施設を頻繁に繰り返していた。この時期は長くは続かなかったが、とにかくしんどかった。

あと、帝王切開予定→経膣分娩に切り替えたものの、元々大量出血リスクが高めだったので鉄剤を処方された。 鉄剤飲むと便が黒く固くなる。なので後期はふたたび便秘に悩まされ、ついに痔になった。酸化マグネシウムでどうにか出していたが、ドス黒い便は見ただけでメンタルを削られた。

幸い私は後期づわりもなく、出血もなく、わりと健康に過ごせた方だとは思うが、それでも妊娠というのは最後の最後まで子宮と赤子に支配されるんだな…と身体的に割と絶望だった。 子どもが元気ならそれでいい。それはそれとして、コントロールが効かない体の不調というのは、それ自体は些細なことでも、10ヶ月続いたり、重なって起こったりすることで十分人を狂わすな…と実感した。

ただ楽しかったのは、とにかく動け!という時期に差し掛かるのでいろいろ歩いて行けたこと。 夫と一緒に散歩がてら近所の喫茶店やレストランを巡り、スイーツやかき氷も食べた。 遠出することができないぶん、近所の地理には詳しくなったと思う。

陣痛→出産については別記事に書くとして、別の人間を10か月もお腹に入れて、その人間の健康優先で身体が働いていく、その代わり自分の身体にはさまざまなマイナートラブルが起こる…というのは理屈としてはとても理解できたが実体験を伴うととにかく臨月はもう「早く出したい」一心だった。

もちろん出産という未知の行為への恐怖はあるが、それでももう早く出してしまいたい…という気持ちが一番だった。

とはいえ、ちゃんと10ヶ月お腹にいることがどれだけ尊く貴重なことかは、このSNSの発達した時代だからこそよくわかった。妊娠を継続することは容易いことではない。 肉体的にも精神的にもどうしようもない不調が伴うし、切迫となるととにかく安静にして少しでも長くお腹に留まれるようにしなければならない。

低体重児や未熟児はただ小さいということがリスクなのではない。子どもの体は10ヶ月ギリギリまで内臓機能を作っている。一番最後に完成するのが肺。早ければ早いほど体内の機能は未完成のまま生まれてくることになる。命を繋ぐことは文字通り奇跡に近い。

どれだけ現代医療が発達しようが、社会の仕組みが高度になろうが、この妊娠出産システムは大きくは変わらない。 母子の健康リスクはどんな人にも生じる。 命を繋ぐこと、妊娠を継続すること、何も問題なければよかったねで済んでしまうが、どうかみんな奇跡に近いことの連続でこの世に生まれてきたということは、この記事をもしチラッとでも見られた方がいたらわかってもらえると嬉しい。