マスクするしない論争について

わかる。わかるよ。私もコロナのあれこれに一喜一憂しマジなんなん?コロナもうええやろはよ滅亡せえや、とか、いつまでこんな対策せなあかんねん?ここまでするのは過剰ちゃうか?と思う。

でもさー

「マスクを外そう!日本人は人の目を気にしすぎ!」 みたいな発言を見ると え??????と思うのよね

えっえっ みんな人の目気にしてマスクしてたの??? 移さない・移らないためではなく???

というね。。

あのー私の感覚としてはコロナ禍初期こそあれだけど、基本的にマスクをそこまで誰かに"強要"されていると感じたことはなくて。 なので、人がだーれもいない屋外を散歩したりするときは外してるし(花粉酷いときはしてるヨ)、人とすれ違ってもこの距離ならいける、と思えばしない。

だって息苦しいもんね。わかるよ〜

でも今が感染症流行期なのは変わりないし、公共交通機関やお店やイベント会場とかはマスク着用してくださいって書いてるやん。だから従って着用するんやん。 親戚でたくさん集まる時も距離近いとリスクあるから適宜着用するやん。

それでよくない?みたいな。そこでゴネる人って店や他人の家に入る時靴脱いでくださいって言われても脱がんのか?たとえ靴下がダサくても穴あきでも、脱ぎ履きめんどくさいロングブーツ履いてても脱ぐやん。 私的にはそれと変わらんのよねーエチケットというか、その場のルールに従うというか。

行く場所の公衆衛生や安全ルールとしてマスク着用や土足禁止があるなら、その表記を理解できる人はそれに従えばいいだけなのに、土足禁止は守れてマスク着用を守れないというのはちょっと理解できない。 不快感に差があるとはいえども、行くなら従う、従えないなら行かないというのは何ら変わらないと思う。

そりゃあね。コロナ前はやってなかっただろ!!って言えばそこまでだしそれはそう。なんだけども。 じゃあ今までみたいに他人に涎や唾とばしまくっていいのかい?というところではないかなと。 私たちがこのコロナ禍で学ぶべきことがあるとすれば、公衆衛生への意識改革じゃないのかと。

たとえば、コロナの死者の話をするとインフルでも人は死んでる!と言う人がいる。うんそうね。私もインフルで死んだ人知ってる。重篤な後遺症や障害の残った人も知ってる。

でも、私の感覚的にコロナ以前ってちょっとやそっとの体調不良なら学校や仕事に無理して行く人が多かった。 鼻水、喉の痛み、微熱、でも休む程じゃないかな。で、そこからしぶとい風邪やインフルが流行って人手不足や学級閉鎖…というパターンを知っている。

実際自分も学生時代、それは発症がバイト中だったから仕方なかったけど、多少フラついても働かなきゃ…と思って無理をして、休憩時間に上がったら帰りの電車が地獄で吐きかけながら帰宅、結局インフル。職場は密室で繁忙期だったので、職場や車内の人にうつしてないかな、そればかり気がかりだった。 おかしいなと思った時点で申し出ていれば、と今なら思う。

今は少しの体調不良でも休みやすくなったと思う。 確かにコロナ関連の休みで人手不足になったけど、じゃあ多少しんどい人が無理して来てたらもっと広がって仕事どころじゃなかったのでは…と思うことがたくさんあった。なんたって周りの罹患者はみんな療養期間が終わっても1ヶ月くらい咳や喉の痛みに悩まされていたから。(特に転職のタイミングでワクチン打てなかった…という後輩がめちゃくちゃしんどそうだった)

療養期間とか、無症状の人や濃厚接触者の扱いとか、見直す部分はたくさんあると思うし、個人的にはもっと軽減していいところがあると思う。雰囲気でマスクやワクチンを強要されていると感じる人がいるのもなんか違うし。でもそれはそれとして、これを機に体調の違和感とかで休んだりしやすい世の中になってもいいのではと思う。この体調の違和感とは心身の両方を指す。

それから、エチケットとして体調に不安のある時は念のためマスクを着用するとか。 飲食店のキッチン担当はマスクを着用するとか。

そういう感染症に対する考え方や衛生観念はコロナ禍から学べるのでは?と思うのです。

マスクが100%菌を防ぐものではないのはわかってるし、感染症対策の全てでもない。 でも、何もなしでくしゃみやおしゃべりをするのとマスクを着用してするのとでは飛沫の加減は全然違うはず。

というかどんなことにも100%などないのですよ。 マスクをしていてもその扱いが雑であれば逆に感染源にもなり得るし、手洗いうがいをしようがアルコール消毒しようがなるときはなる、その通り。 でもだからってしなくていいとはならないでしょ?

嬉々として感染症に罹りたい人なんているか? 免疫獲得と言ってしまえばそれまでだけど、少なくともインフルにすすんでかかりたい人なんている? 冗談で「休めるじゃん」って言うことはあっても、あんなしんどい感染症まず罹りたくない。

そして、移したくない。 大切な人に、身近な人に、職場の人に、すれ違う人に、うつしたくない。 その人は基礎疾患があるかもしれない。感染症に弱いかもしれない。 自分だけが良いなんてちょっと都合が良すぎるんですよ。

自分の職場でいえば、コロナ以前からとても感染症対策の厳しい現場だった。 医療機関ではないけれど、基礎疾患のある人が毎日継続して利用する施設で、それこそインフルや指定感染症どころか健康な人からしたら"ちょっとした風邪"レベルでも入院、命を落としかねない、もしくは以前それで後遺症や障害の残った人たちを相手にする職場。 その人たちは入所しているわけではなく通所で、普通に日常生活を送っている。

マスクは感染症流行期(10月頃〜3月頃の約半年間)はしていたし、それ以外の期間でも免疫の問題で感染症要注意の人を相手にするときは年中マスク。 玄関にはアルコール消毒。公共交通機関を使う人は着替え必須。 下痢や鼻水、咳など少しでも体の不調のある利用者がいたら他の利用者と物の共有を避け距離を取る。場合によっては利用確認の電話をする。

通所なので他所からウイルスを貰ってしまう人はいた。 それでも、現場では対策をしていたので滅多に蔓延はしなかった。うつるのはたいてい自分達で距離を詰めてしまうかマスクを着用できない利用者間だった。利用者⇄職員パターンはレアだった。

そういう実績があるので、コロナ後はより細かなマニュアル+フェイスシールドなどの新たなアイテムは増えても、そこに疑問は出なかった。 ただし、科学的根拠や費用対効果の低いもの(空気清浄機や置き型除菌剤?など)は利用していない。これはサポートをしてくれている医師にも助言いただいた結果だ。 そのおかげか、コロナ禍においてもいつもの感染症のように他所から貰ってしまう人は多くても施設内では蔓延しなかった。

確かにコロナ前はマスクなんてしたことがない、手洗いうがいも適当、アルコール消毒何それ?飛沫なんて避けられないだろう…みたいな感覚の人からしたら窮屈で仕方ないと思う。マスクをしている人は人の目を気にしている、同調圧力だと思われても仕方ないのかもしれない。

でも少なくとも私の感覚からすると、できる対策をするのは自分のためにも他人のためにも当然で、大切なことだ。 だから私はこれからも手洗いうがいはするし、感染症流行期はマスクを着用する。

別に"コロナはただの風邪"でいいんですよ。というか突き詰めればそうだし。でも私は大切な人が"ただの風邪"から肺炎に至って障害が残ったり命を落としたりするのは見たくない。

感染症対策の見直しは必要だけど、根本的に"感染症対策"とはどういうことなのか、ということは、もっと一人ひとりがコロナを機に考え直すべきことだと思う。 人の目がとか、国民性とか、そんなことではなく。