25歳

平成が終わるそうなので。

男とか女とか

私の父は、男はこうあるべき、女はこうあるべきというのがすごく強い人だった。今は言うことも減ったが、未だにその雰囲気は残っている。



台所に立つべきなのは女。


だから、きょうだいで女の私にだけ、母さんを手伝えと言っていた。


男きょうだいには、遊んでいても何も言わない。

自分も手伝わない。


母が仕事で遅くなるときも、いつまでも待っている。

今もそうである。


作ってもらっておきながら、料理の文句を言う。掃除洗濯その他についても言う。



大人になった私には、お花と料理を習えと言った。

いつの時代だよ、と思ってスルーした。




男とか、女とか、性別によって行動が決められるのはおかしいと、子どもながらに昔から思っていた。


どちらも働いているのに。


どちらも、生きていくためには、食べることや清潔に保つこと、適度な余暇活動や睡眠が必要なのに。


どうしてそこで、夫婦になると、親子になると、女というだけですべての面倒をみなければいけないのか。



状況に耐えられなくなって家を出た。


でも、今でもその呪縛はある。



社会に出て、そんな夫婦だけではないと知った。


家事を分担する夫婦。


その日その日でできるほうがやる夫婦。


お互いのスケジュールさえ合えば、自由に飲みにいける夫婦。


専業主夫の家庭。



そうなのねと、頭ではわかっても、心がまだ追いつかない。



結婚する女友だちが、相手に合わせるため、苦労して掴んだ職を離れるとき。


結婚式のパンフレットのプロフィールに、新婦の方にだけ「得意料理は」という欄を見つけたとき。


男の人と仲良くしていたら、「付き合ってるの?」と聞かれたとき。


いいかもしれないと思っていた人に、「もし結婚しても、仕事は続けるの?」と聞かれたとき。



私は自分が女であることがいやになる。




そりゃ、どうしようもない差があるのはわかっている。



女だけが子どもを妊娠することができる。


安全な出産には、妊娠する年齢が関わる。


女の方が平均的に身長が低く、筋肉がつきにくい。




でも、そんなものである。


今は女性も働くし、趣味もある。



それ以外何が違うというのだろう。




最近、何気ない会話で男の人の話題を出すと、その人どうなの、と言われる。


飲みの場に行くと、すぐに恋愛の話になる。


結婚したくないの?と聞かれる。



ほっといてほしい。



私は楽しい会話がしたいだけだし、美味しいお酒を飲んで美味しいご飯を食べたいだけだし、今の人生を楽しんでいるだけなのに。



結婚できない人は変わっているとか、


結婚が人生でいちばんの幸せとか、


男はいつまでも女に甘えたいものとか、



知らねーよって思ってしまう。



でもそれを、本気で言ってくる人がいるから怖い。


それを押し付けてくる人がいるから怖い。



私はどうしても料理だけは好きになれないし、いつまでも仕事をしていたいし、いつまでも楽しいことをしたい。


少なくとも、今は。



それで将来後悔する日がきても、それは私の責任であって、周りの人は関係ない。


ていうか、その頃にはきっと、あなたも私に興味なんてないでしょう。




でも、そこでいちばん男とか女とかを気にしているのは、きっと私だ。



みんなきっと、それほど考えていない。



母だって、男とか女とかではなく、もう自分がやるものだと、何年も前から意識しているのだろう。もしくは、意識すらしていない。





男とか女とか、考えずに生きられたら、どれだけ楽なんだろう。



実家を離れた今も、まだ私は、その呪縛から離れられないでいる。