25歳

平成が終わるそうなので。

女であることへのプレッシャー

この歳になると、結婚式に参列する機会がめちゃくちゃ増える。

友だちと予定を合わせるときにも、別々に結婚式の予定が入っていてなかなか合わない、なんてことが多々ある。


先に言っておくと、私は友だちの結婚式という時間と空間が、とても好きだ。

幸せに満ち溢れていて、友だちとの思い出が蘇り、知らなかった幼少期のことを知って驚いたり、家族の愛を思って涙したり。


そこにいるだけで、自分も幸せな気持ちになるし、音楽や雰囲気が素敵だし、自分自身ここまで髪や服装を整えて、お気に入りのワンピースやオールインワンを着て、小さなカバンを持って、美味しいお酒やご飯をいただく機会なんて普段はないシチュエーションなので、準備から楽しんでいる。


ご祝儀貧乏、という言葉もあるように、これに関連出費は、正直まだまだ薄給のぺーぺー社会人にはかなり大きなものではある。



ただ、その話を他人にしたときに「いつか回収しないとね」なんて言われることが多いのだが、そこはよくわからないなと思う。


もちろん、相手も深い意味はなく、相槌のように言っているのだと思うが、「男の人が怖い、苦手」なんて言ってしまう私にとって結婚は夢物語のようなものだし、結婚式を挙げたり、結婚式でご祝儀をもらうという行為はもっとハードルの高いものであるからだ。



結婚式に出席すると、多くは教会式で、華やかなドレスを着て、指輪の公開、誓いのキス、ブーケトス。披露宴ではプロフィールムービー、上司や友人のスピーチ、ケーキ入刀、余興、お色直し、両親への手紙、親の挨拶、お見送り…二次会がある場合は、新郎新婦参加のゲームやクイズ、新郎新婦同士のサプライズなんかもあったりする。



今まで出席したもの、どれもすごく素敵で、楽しかった。


けれど、このタスクをこなすことが結婚の儀であるなら、あるいはこれを私も両親や祖父母にもいつかは…と求められているのかな、と思うと、どうしてもむず痒く、申し訳ない気持ちと、どうしようもない劣等感に苛まれる。



縁もゆかりもない神様の前に永遠の愛を誓うことはできないし、そもそも指輪もいらないし、人前で誓いのキスをしたり、未婚の女性が苦笑いを浮かべるブーケトスは私はしたくない。


これといった輝かしいプロフィールもないし、口周りを汚すノリは避けたいし、余興もいらないし、両親への手紙はできれば読みたくない。少なくとも人前では。


とにかく注目を浴びたくなくて、それ故にもし自分が結婚することになっても、結婚式はしたくない。やるなら規模も内容も、最少限におさえたい。



友だちの得意料理や、家庭での女としての振る舞い、旦那の身支度や世話が「良き妻」としての象徴のように紹介されるたび、私は女としてのプレッシャーに押し潰される。


わたしには、できない。


料理は何回やっても好きにはなれないし、可愛い振る舞いや男の人を立てるということはできない。

自分の身支度は自分でやって欲しいし、お酒は節度をもって飲んで欲しいし、家事は完全に分担したい。



そこを耐え忍んでまで、成人女性として結婚しなければならないとするなら、もう自分は女を辞めたいし、女であるプレッシャーから早く解放されたい。



私は化粧をするし、それなりにオシャレにも気を使うし、料理だってなんとか頑張っているし、趣味も楽しんでいる。


でもそれを、「可愛い、モテるでしょ」とか、「それは男ウケ悪いよ」と言われるたびに、ものすごく悲しくなって、そのすべてを辞めたくなる。


化粧やオシャレは自分のモチベーションやテンションを上げるため。料理は、できるだけ食費を抑えたり毎日の充足感を高めるため。趣味は好きなものを好きなだけ楽しんでいるのであって、男ウケなんて考えていない。



私は男性に愛されるために生きているわけではないし、それが女だというなら、私は今すぐ女をやめたい。


でも、女である自分が好きだし、女は最高だと思っているから、できればれ女はやめたくないし、これからも女を楽しみたい。



自分が変わらなければいけないところだらけなのは分かっている。


でも、もう少し、気楽に女でいられる生き方をしたいと思う。

かわいくなりたいー恋愛とか結婚とか

高校を卒業してから、周りに既婚者が増えていって、最近は特に、身近な友だちがどんどん結婚していく。



紹介されたり、結婚式・披露宴に呼ばれると、幸せそうだなとおもう。




でも、自分もこうなりたい、とはまだ思えなくて。



昔、親戚のお姉さんの結婚式に行った時には、自分も綺麗なドレスを着て、教会で結婚式を挙げて…と憧れていたと思う。




いつからだろう。



恋愛や、結婚は、見た目が美しい人たちが、明るく素敵な人たちがするものだと認識してしまった。



鼻が丸くて、顎が出てて、手足が太くて、体毛も濃くて、表情は暗いし猫背だし、盛り上げることが苦手な自分のような人間には、無理なんじゃないかと。


自分が恋愛をしている姿が、結婚したいと願う姿が、恥ずかしくて仕方がない。



せめてもう少しだけでも細くなって、化粧が上手くなって、ファッションセンスもよくなって、性格が明るくなったら…


そのときは、したいけど。




今の自分にとにかく自信がなくて、出会いの場に行くのもおっくう。




自分磨きを頑張りたいけど、頑張り方がわからない。




私は恋愛にハードルを上げすぎなのかな?


条件を求めすぎなのかな?



どうしたらいいのだろう。

男とか女とか

私の父は、男はこうあるべき、女はこうあるべきというのがすごく強い人だった。今は言うことも減ったが、未だにその雰囲気は残っている。



台所に立つべきなのは女。


だから、きょうだいで女の私にだけ、母さんを手伝えと言っていた。


男きょうだいには、遊んでいても何も言わない。

自分も手伝わない。


母が仕事で遅くなるときも、いつまでも待っている。

今もそうである。


作ってもらっておきながら、料理の文句を言う。掃除洗濯その他についても言う。



大人になった私には、お花と料理を習えと言った。

いつの時代だよ、と思ってスルーした。




男とか、女とか、性別によって行動が決められるのはおかしいと、子どもながらに昔から思っていた。


どちらも働いているのに。


どちらも、生きていくためには、食べることや清潔に保つこと、適度な余暇活動や睡眠が必要なのに。


どうしてそこで、夫婦になると、親子になると、女というだけですべての面倒をみなければいけないのか。



状況に耐えられなくなって家を出た。


でも、今でもその呪縛はある。



社会に出て、そんな夫婦だけではないと知った。


家事を分担する夫婦。


その日その日でできるほうがやる夫婦。


お互いのスケジュールさえ合えば、自由に飲みにいける夫婦。


専業主夫の家庭。



そうなのねと、頭ではわかっても、心がまだ追いつかない。



結婚する女友だちが、相手に合わせるため、苦労して掴んだ職を離れるとき。


結婚式のパンフレットのプロフィールに、新婦の方にだけ「得意料理は」という欄を見つけたとき。


男の人と仲良くしていたら、「付き合ってるの?」と聞かれたとき。


いいかもしれないと思っていた人に、「もし結婚しても、仕事は続けるの?」と聞かれたとき。



私は自分が女であることがいやになる。




そりゃ、どうしようもない差があるのはわかっている。



女だけが子どもを妊娠することができる。


安全な出産には、妊娠する年齢が関わる。


女の方が平均的に身長が低く、筋肉がつきにくい。




でも、そんなものである。


今は女性も働くし、趣味もある。



それ以外何が違うというのだろう。




最近、何気ない会話で男の人の話題を出すと、その人どうなの、と言われる。


飲みの場に行くと、すぐに恋愛の話になる。


結婚したくないの?と聞かれる。



ほっといてほしい。



私は楽しい会話がしたいだけだし、美味しいお酒を飲んで美味しいご飯を食べたいだけだし、今の人生を楽しんでいるだけなのに。



結婚できない人は変わっているとか、


結婚が人生でいちばんの幸せとか、


男はいつまでも女に甘えたいものとか、



知らねーよって思ってしまう。



でもそれを、本気で言ってくる人がいるから怖い。


それを押し付けてくる人がいるから怖い。



私はどうしても料理だけは好きになれないし、いつまでも仕事をしていたいし、いつまでも楽しいことをしたい。


少なくとも、今は。



それで将来後悔する日がきても、それは私の責任であって、周りの人は関係ない。


ていうか、その頃にはきっと、あなたも私に興味なんてないでしょう。




でも、そこでいちばん男とか女とかを気にしているのは、きっと私だ。



みんなきっと、それほど考えていない。



母だって、男とか女とかではなく、もう自分がやるものだと、何年も前から意識しているのだろう。もしくは、意識すらしていない。





男とか女とか、考えずに生きられたら、どれだけ楽なんだろう。



実家を離れた今も、まだ私は、その呪縛から離れられないでいる。



普通

ずっと恋人がいないとか、男の人が苦手とか、触れられると気持ち悪いとか、結婚に憧れないとか、そういうことを話すと、たいてい何か理由があるんじゃないか、過去にトラウマがあるんじゃないかとか思われる。


実際、ネットを見てみても、何かしら過去に抱えている、あるいは今現在何か課題や問題を抱えている人は多い。


毒親育ちとか、犯罪被害に遭ったことがあるとか、何か障がいや病気に悩まされているとか。



でも、私は何にもない。


いじめられたこともない。

誰かに危害を加えられたこともない。

父親は好きではないけれど、殴られたりしたことはないし、お金は出してくれた。


いたって健康に育ち、小中高に毎日通い、大学を出て就職した。


凹んだこともあったけれど、病むほどのことはなかった。


長電話をしたりはないけれど、連絡を取る友だちはそれなりにいる。


仕事では、なんとか1人で生きていけるだけは稼げている。


大したものではないけれど、趣味もある。



普通すぎるくらい、普通の毎日を送ってきた。



なのに、恋愛にだけはいまひとつ、踏み出せないまま時間が過ぎた。




高校生になれば、大学生になれば、大人になれば、恋をして、その人と一緒にいたいと思うようになるのだと、ずっと思っていた。



でも実際には、告白されても嬉しさよりも先に焦りや怖さがやってきて、突き放したくなる。


好きな人ができても、好意を向けられた瞬間から、嫌われたくなる。


自分で自分が好きではないからか、自分を好きだという異性は信用できない。


自分を好きにならない人を好きになる。



好きだからといって、付き合いたあとは思わない。





初めて男の子とふたりで一緒に帰った時、ふたりで遊んだ時。


わたしにも、男友だちができたと思った。



でも相手はどうやら違ったようで、付き合ってほしいと言われた。


裏切られたような気持ちになった私は、告白を断り、嫌われるような態度をとるようになってしまった。



大人になって、友だちとして大切にしたい男の人とふたりで会うのはやめた。




ようするに、自分勝手なのだ。



でも、私は未だに、自分のことを好きだという人の気持ちの、受け入れ方がわからない。



どうして好きな人と一緒にいたい、一緒にいられると幸せになれるという発想に辿りつくのかがわからない。




私はまだ、そのスタートラインにも立てていないのだろうか。



普通に生きてきたと思っていた25年間は、普通ではなかったのだろうか?




いつか、私も相手の気持ちを受け入れて、一緒にいたいと思う日がくるのだろうか?

誰かを「好き」だということ

男の人が苦手といっても、好きな人はできたことがある。


小学生、中学生、高校生の頃にひとりずつ。


どの子も、背が高めで、スポーツをしていて、よく笑う子だった。


「好きなら、告っちゃえばいいのに」


友だちによく言われた。


けれど、私の「好き」という感情は、友だちのそれとは少し違うようだった。


他の子は、好きになったら、"付き合う"ために"告白"するらしい。



けれど、私は「好き」と思った人と「付き合いたい」と思ったことはなかった。

いや、正しくいうと、多少は思ったこともある。

けれど、それよりも「好きでい続けたい」気持ちが強かった。


"告白"したら、付き合えるか、付き合えないかという結果が待っている。付き合ったとしても、学生なんて大抵がすぐに別れていった。


わたしには、それが怖かった。

"いつかくるお別れ"ほど怖いものはなかった。

自分のペースでその人を「好きでい続けたい」という気持ちがなによりも勝った。


告白して振られたら、付き合えても別れたら、もうその人を好きではいられない。

だったら、別に付き合えなくていいので、ただ好きでい続けたかった。

何気ない会話ができれば、たまに目を合わせて笑いあえれば、それでよかった。

それが続いて欲しかった。



けれど、「一方的に好きでい続ける」ことが難しいことも知った。


小学生の時は、友だちも同じ子を好きだと知って、静かに想いを打ち消した。



中学生の時は、相手の男の子もまた好意をもってくれたらしく、メールアドレスを聞かれ、遊びに誘われたりした。

他にも、疎い私でもわかるくらい、彼は私に好意を抱いてくれていた。


それがわたしには誤算だった。


好意をもたれてしまったら、自分のペースで好きでい続けられないではないか。


そうなると私は、途端に嫌われる行動をとってしまうのだった。

メールを返さない、目を合わせない、話しかけられてもつれない返事をする。

ひどいことをしているのはわかる。でも、身体がいうことを聞かない。


だって、お互いに好意を持ってしまったら、その先には付き合うとか付き合わないとか、そういういくつもの選択肢が待っているから。


私は逃げて、逃げて、しまいには「僕、何か嫌われるようなことをしたかな」とすら言われるようになってしまった。

しかしそれがまたダメだった。

なんでそんなことを言うんだ。私の体はいよいよいうことをきかなくなった。


結局、その子は高校生になってもしばらく連絡をくれていたが、私のワガママで何度も途絶えさせてしまい、いつの間にかやり取りはなくなった。


ひどいことをした自覚も、傷つけた自覚も、はっきりとある。

でも、やめようとしてもやめられなかった。

好意を持たれていることに、耐えられなかった。




高校生の時に好きになったのは、クラスの中心的な子だった。


それまではどちらかというと中心の周りにいるような子が好きだったが、この時は違った。

ただ、人気者なのでなかなか声もかけられず、連絡先を聞くこともできなかった。

友だちと付き合ったとわかった時には、1人で静かに落ち込んだ。


好きな人が誰かと付き合っているということは、自分の好きな気持ちを表してはいけない、諦めなければいけない、それが自分なりのルールだった。


その子が別れると、また好きな気持ちを取り戻して、話ややりとりを楽しんだ。

でも決して想いがばれないように、わざと荒っぽい言動を選んだりした。


そんなことを繰り返しているうちに、卒業してしまった。

しかし、卒業後も、その子のことがしばらく好きだった。

何度か顔を合わせる機会があるたびに緊張して、上手く話せなかった。


気持ちを打ち消すことも、伝えることもできないまま時間だけが流れ、いつのまにかその子にも彼女ができた。


またも彼を好きでい続ける資格がなくなってしまった。

私は長い片思いに、人知れず蓋をした。




それ以降、好きな人はできていない。


職場はあくまで職場であって、会話は基本仕事上のことばかりだし、素の自分でいるわけではないので、学生の頃のように好きな人ができたりはしない。

自分の気持ちの持ちようなのだろうけれど、今のところ、私は職場で出会いを求めてはいない。


飲み会や合コンに行っても、ただ疲れてしまってしんどくなる。

LINEの通知を見ては消し、としていると、初めはあった罪悪感も徐々に消え、アリなら返す、ナシなら無言、とまるで仕分け作業かのように無心で携帯画面を覗く自分に気づいた今は、少し休憩が欲しくなっている。


大人になって"自然に出会う"ことは、今のご時世かなり少ない。

何かしら出会いのためのアクションを起こさねばならないし、恋人を作らなければ死に至るとでも言うのかというくらいに焦らせてくる人がたくさんいる。



最近わたしは、出会うシチュエーション問わず、新しく知り合う歳の近い男性を、アリかナシかで考えてしまっている。


もう、純粋に誰かを好きだという気持ちは忘れてしまったし、そもそもそれが恋愛に果たして必要なのかすら疑問だ。


そして、アリに分類したかといって、付き合いたいという気持ちは少しも出てこないので、アクションを起こすこともない。

何度か食事に行っても、その先になにかを求められているとわかった瞬間、気持ち悪さが突然津波のように押し寄せ、遠ざけてしまう。


学生の頃から、なにも変わっていない。



わたしの「好き」は、他の人の好きとは違うらしい。


いつか、大人になれば、わかるのかも知れないと思っていたが、いまのところ、まだその変化もきていない。


いつか「付き合いたい」と思う日がくるのだろうか、それともわたしの「好き」にこの先も変化はないのか、それはわからない。



もういっそのこと、気持ち悪さを耐え忍んで誰かと付き合うべきなのかもしれない。


そんなことをぼんやり考えながら、毎日を過ごしている。




はじめに

平成最後の夏。

そんなワードをあちこちで耳にする。


だからどうした、という気持ち半分。

そうか、もう最後なのか、という気持ち半分。


そんなことを思った時に、ふと、今のこの色々な気持ちを書き留めておきたいなと思った。



平成最後の夏。

私は25歳、会社員。


生物学上の性別は女。

音楽と映画と身体を動かすことが好き。

小さい子どもは可愛いので好き。



男の人は少し苦手。

というのも、私は生まれてこのかた恋人ができたことがない。

学生の頃、体育でやったフォークダンス以外で男の人と手を繋いだことも、当然ない。


これが、今の私の、25歳としてのいちばんの悩み。


友達としてや、仕事の上で関わることに関しては問題ない。

むしろ、男の人相手の方が楽なこともある。


しかし、そこに色恋が絡むと途端に気持ち悪くなる。虫唾が走る。

表情はなくなり、体はこわばり、全身で拒否反応を示してしまう。

触られるなんてもってのほか。



そんなことを繰り返し、でもいつか、大丈夫な人が現れるはず…なんて思っていたら、あっという間にJKブランドはなくなり、ハタチを超え、20代も半ばを迎えてしまった。


いつのまにか、素直に「彼氏いたことなくて」と言えなくなった。

付き合った人数は適当な数を言って誤魔化すようになった。

下ネタもボディタッチも、程度に合わせて上手く乗っかったりかわしたりすることができるようになった。



彼氏がいないことを、結婚しないことを、悪いことだとは思わない。

むしろ、そんな人がいて当たり前とすら思っている。

生き方は人それぞれで、恥じることなんて何もないと思っている。


それでも、平成最後の夏、25歳の夏を迎えて、こんなブログを書いている私は、恐らく心のどこかで恋人がいたことがないことに、不安や焦りを抱いているのだと思う。



不安? 焦り? 何に対して?


自分でもわからないことだらけ。



どこにでもいる普通の会社員。

髪を染めるし、化粧をする。

ネイルもするし、オシャレにも多少は気を使う。


インスタグラムで好きなブランドのアイテムをチェックする。

アクセサリーも好きで集めている。


週末はたいてい、どこかへ出かける。



どこにでも、普通にいる会社員。


でも、私は周りの友達とは「恋人ができたことがない」ことで、なにかが違うらしい。


その違っていることが、いけないことだとか、変だとかは思わない。


ただ、いつかは自分にも恋人ができるものだと思っていたから、今この時点で恋人がいない、できたことのない私は、なにかが違うのかもしれないと、静かに不安になったのだ。



だから、25歳の自分に何が起きているのか、あるいは何も起きていないのか、整理したいと思った。


"生産性"のないブログだけれど、いつまで続くかわからないけれど、とりあえず始めてみようと思う。






※特定を避けるため、一部事実と異なる表現をする場合があります。