思てたんと違うマタニティライフ〜妊娠後期〜

後期に入ると目に見えてお腹が大きくなる。 もう完全妊婦。誰がどう見ても妊婦。

そして、動きが一気に鈍くなる。

お腹の下は見えないし、かがむことも難しい。 狭い隙間は通れないし、歩くだけで息切れがする。 階段は登りも辛いが下りも辛い、なぜなら足元が見えないから。 とにかく少しでも動けば大きなお腹に振り回される。そしてそのお腹にいるのは別の人間なので、ボディイメージがいまいち理解できずバランスも取りづらい。そんな感じである。

けれど安産に向けて歩かなければならない。 夫とほぼ毎日散歩に出かけたが、途中で何度もお腹が張り、何気ない距離がとてつもなく疲れる。

そして何故か異様に腹が減る。 思うままに食べていたら9ヶ月に入ったあたりから一週間に1kgずつ増えてしまって流石に注意された。 だって腹が減るし動けないし…

胎動も日に日に激しくなる。 みぞおち、胃、あばら。腹の中でも弱いところを知ってか知らずか勢いよく蹴ってくる子ども。 それはもう、たまに声出るレベル。「うっ、イテテテテ…うぐっ!」と我慢しても漏れ出る。もはや暴力に近い。

たまに腕や足と見られる形が浮き出ることもあって、まるでお腹の中にエイリアン飼ってるみたい…と思った。というか本当に人間入ってるんか??エイリアンがある日突然お腹蹴破って出てくるのでは??と疑った。

ちなみに胎動は臨月に入ると子どもが大きく子宮の余裕がなくなってくるので感じにくくなる、と聞いていたが、少なくとも私の場合はどんどんパワーアップしたし産む直前まで激しく動いているのがわかった。大きかったからかな…

それと、私はそれまで割と無縁だった浮腫が臨月入ったところで一気にひどくなって辛かった。 まずは足。象足までにはならなかったが、とにかく痛くてクッションで足を心臓より高く上げないと寝られなくなった。 日中、通常の生活を送ろうにも3歩歩けば足が痛くてすぐに横にならなければ耐えられない。

そうこうしていると今度は手もむくんでしびれてくる。 寝ながら両手を上げてみたり、お腹の上で組んでみたりするがずっとは辛い。手はどうやっても下ろせば心臓より下がってしまう。左右交代で向き直しながらだましだまし過ごしたが、片手は常にしびれていた。

そして極め付けは顔。顔が浮腫むって私飛行機10時間乗った時以来だったんですけどその比じゃないくらいしんどかった。 とにかく顔がギューッと内側から押されるようになって痛い。誰かに首を絞められているかのように首周りがキツくなってきて、息がしづらい。 枕を高くしてみてもしれているので辛い。 顔がパンパンに浮腫むと命の危険を感じる。立つとましになるが今度は足がめちゃくちゃむくんで痛い。

なのでずっと寝たり起きたりの施設を頻繁に繰り返していた。この時期は長くは続かなかったが、とにかくしんどかった。

あと、帝王切開予定→経膣分娩に切り替えたものの、元々大量出血リスクが高めだったので鉄剤を処方された。 鉄剤飲むと便が黒く固くなる。なので後期はふたたび便秘に悩まされ、ついに痔になった。酸化マグネシウムでどうにか出していたが、ドス黒い便は見ただけでメンタルを削られた。

幸い私は後期づわりもなく、出血もなく、わりと健康に過ごせた方だとは思うが、それでも妊娠というのは最後の最後まで子宮と赤子に支配されるんだな…と身体的に割と絶望だった。 子どもが元気ならそれでいい。それはそれとして、コントロールが効かない体の不調というのは、それ自体は些細なことでも、10ヶ月続いたり、重なって起こったりすることで十分人を狂わすな…と実感した。

ただ楽しかったのは、とにかく動け!という時期に差し掛かるのでいろいろ歩いて行けたこと。 夫と一緒に散歩がてら近所の喫茶店やレストランを巡り、スイーツやかき氷も食べた。 遠出することができないぶん、近所の地理には詳しくなったと思う。

陣痛→出産については別記事に書くとして、別の人間を10か月もお腹に入れて、その人間の健康優先で身体が働いていく、その代わり自分の身体にはさまざまなマイナートラブルが起こる…というのは理屈としてはとても理解できたが実体験を伴うととにかく臨月はもう「早く出したい」一心だった。

もちろん出産という未知の行為への恐怖はあるが、それでももう早く出してしまいたい…という気持ちが一番だった。

とはいえ、ちゃんと10ヶ月お腹にいることがどれだけ尊く貴重なことかは、このSNSの発達した時代だからこそよくわかった。妊娠を継続することは容易いことではない。 肉体的にも精神的にもどうしようもない不調が伴うし、切迫となるととにかく安静にして少しでも長くお腹に留まれるようにしなければならない。

低体重児や未熟児はただ小さいということがリスクなのではない。子どもの体は10ヶ月ギリギリまで内臓機能を作っている。一番最後に完成するのが肺。早ければ早いほど体内の機能は未完成のまま生まれてくることになる。命を繋ぐことは文字通り奇跡に近い。

どれだけ現代医療が発達しようが、社会の仕組みが高度になろうが、この妊娠出産システムは大きくは変わらない。 母子の健康リスクはどんな人にも生じる。 命を繋ぐこと、妊娠を継続すること、何も問題なければよかったねで済んでしまうが、どうかみんな奇跡に近いことの連続でこの世に生まれてきたということは、この記事をもしチラッとでも見られた方がいたらわかってもらえると嬉しい。

陰謀論にハマる人の心理を考える

産休中の過ごし方と調べると、買い物をするとか、子どもがいたら行きづらい場所に行っておくとか、友だちとランチをするとか、そういうのが出てくる。

ただ、今はコロナ禍。感染症流行期。妊婦である私がコロナ陽性になると色々とややこしいので外出を控えている。

そんなコロナ禍妊婦である私の産休中の過ごし方のメインはズバリ、"陰謀論にハマる人観察"となっている。主な活動場所はTwitter。お産を控える人間としてとても健康的とは言えない過ごし方であることは自負している。

ただ、理由があるのだ。 親戚の中に、反ワク反マスクに傾倒したり、評判の良くない宗教の活動に参加したり、電磁波や添加物といったものを必要以上に恐れたりしている人が複数いる。積極的な交流を避けているが、今後の親戚付き合いのためにも、どうして陰謀論やトンデモ医学や怪しい宗教にハマってしまうのか、そしてそれを取り巻く環境ってどうなのか、知っておきたいと思ったからだ。

なのでこれはあくまでただのイチ妊婦の陰謀論界隈観察日記であり、誰かを強く批判したり傷つけたりしたいわけではないことだけ前提として書いておく。 何を考え、何を信じるかは人それぞれだから。

ただし、過激な反ワクチン自然派的思考により自分の子どもまでを危険に晒してしまう人とか人の弱みに漬け込んで大切なお金や財産を捲き上げるタイプのカルトやビジネスとかには嫌悪感を抱いている。

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コロナを機に、なんだか世の中には色んな人がいるんだなと思うことが増えた。ただでさえイレギュラーな環境。たしかに社会不安から思考や行動が変わってしまう人も少なくないだろう。

その中の目につくひとつとして、陰謀論がある。

陰謀論、と一言に言っても内容は多岐に渡るし、その実際もグラデーションであるのだけど。 反マスクとか、コロナはただの風邪とかそもそも存在しないとか、ワクチンで5Gに繋がるとか、DSがどうのこうのとか… 側から見ている分にはあーあで終わる。でも身内にいたらどうか?

親戚の中で1人、コロナを機にそちら側に傾倒した人がいた。

彼は根はとてもいい人なのだが、学生時代勉学に苦労し、なんとか入った大学も中退して以降定職にはついていなかった。一度決めたことをなかなか曲げられないタイプで、所謂社会のルールにハマれない。

彼の話は反マスクから始まって、メディアの嘘とか、社会の裏とかの話に発展した。彼はよく陰謀論と思える持論を親戚のグループLINEに載せた。突飛な内容も多かったが、何を考え何を話すかは自由だし、自尊心を傷つけまいと、周りのみんなは明らかな間違いはやんわり指摘しつつ基本は見守っていた。今思えば、指摘しても聞き入れられないだろうという諦めもあったと思う。

結果、楽に稼げるというビジネスに手を出してなけなしの財産を失ったのと、彼の名誉のために明言は避けるが一つもっと大きな失敗をしてしまった。

彼がそんなになるまでに、もっとできたことがあったんじゃないかと私たちは反省した。力ずくでももっと手前で止めていればと。 でも、一度陰謀論の沼にドップリと浸かった彼に、その最中にどんな言葉をかけても耳には入らなかっただろう。強い態度で出れば敵認定されて完全に弾かれていたとすら思う。 その時彼が求めていたのでは否定でも指摘でもなく、自分の主張への賛同であっただろうから。

さすがに失敗が大きすぎたのもあってか、彼は現在優しい人の救いもあり非正規ではあるが仕事を見つけ、少なくとも以前よりは落ち着いた。彼が陰謀論的思考から完全に抜け出したとは思えないが、多少はこたえたのではと思う。

彼を見ていて思うのが、根はとてもいい人で心は優しい。仲間を大事にする。素直でまっすぐ。ただ反面勉学が苦手で、難しいことを避ける。社会規範や苦労を避ける。一攫千金、一発逆転、そんな概念や言葉に弱い。

そんな彼の素直さと弱みに漬け込んだ相手が憎い。商材やもっと闇の深いものを売りつけ、彼のお金と名誉を奪うだけ奪って今もなお甘い汁を吸っている奴がいると思うととても腹立たしかった。

同時に、どれだけ仲がいいと思っていた親戚も救いにならなかったのだという切なさが残った。 近いからこそかもしれないが、わたしたちに彼は救えないのかという絶望。

この記事に近いものを感じた。 https://news.yahoo.co.jp/articles/8cc7709be7f5a70c8282567993ba25f6b5a06df4

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冒頭にも書いたが、陰謀論的思考にハマっている親戚は他にもいる。

1人は父方の祖母。 元々どこか思想的なところが強く、私は昔から少し苦手だった。子どもながらに、愛想はふりまきながらも、一定距離を取るようにしていた。

苦労人だったのは知っている。祖父はあまり体が強くなく、あまり仕事にも出ていなかったようで、祖母が働いて家計を支えた。子どもの持病の治療や通院も、親戚付き合いも、全て祖母が担当。 一方でほとんどを家で過ごす祖父は若いうちから痴呆がすすみ、70を過ぎると一気に認知症となった。身辺こそ自立していたものの支離滅裂な言動が限度を超え、祖母の精神面に影響を及ぼし、病院内の施設に入所することになった。

ただ、家族のしんどさと、皮肉にもそれまでの忙しさが急になくなった寂しさからか。祖母が友だちに誘われた宗教の活動に参加していると母から教えてもらったのはこの少し後の頃だった。 母にとっては義母にあたるが、母は「お義母さんが何を信じても自由ですが、この件に関しては私たち夫婦やうちの子どもたち含め他の親戚を勧誘することはやめてください」と伝えたと教えてくれた。 元々仏教(特定は避けるが真言宗とか浄土宗とかの類)のおつとめとかを熱心にするタイプで仏壇に向かってお経を読んでいる姿も見ていたが、それとは違う活動にも誘われて参加するようになったということだった。

一度、携帯の迷惑メールを削除してほしいと依頼された時、何件か明らかな迷惑メールを消した後、その友だちから転送されたと思われる宗教のメルマガ?のようなものを偶然見かけたことがある。「これはどうする?」と聞くと残しておいてほしいと言われた。

そこにあった宗教名を後々確認すると、公式サイトのほか、その宗教に家族や友人がはまって高額なお布施を払っていて困っている、というような相談内容のページが複数あった。 祖母が現在どこまでその宗教に加担し、お布施を納めているのかはわからないが、母が強く諭すレベルなので簡単に戻ることができない段階ではあるのだと思う。

もう1人は、間柄の明記は避けるが、私よりもかなり年上だ。もう60近いと思う。 昔は仕事もして、幼い私たちを遊びに連れて行ってくれる快活な人だった。学生時代にスポーツや勉学もそれなりに努力していたらしく、正規雇用のサラリーマンだった。 少し雰囲気が苦手なこともあったが、何か危ういことがあったわけでもないので、それなりに遊んでもらっていた。

転職し、一人暮らしを始めた頃だったか。徐々に「電磁波が」とか「食品添加物が」とかいう発言をし始め、交流が少なくなっていった。やがて体調を崩し、気づけば退職して実家に戻っていた。 その頃の私はまだ幼かったのでよくわかっていなかったが、今思えば仕事でトラブルか何かがあり、精神を病んでしまったのだと思う。あるいはその逆か。ただ、それまで何の問題もなく生きてきていたから、心身の不調の原因を何かに求めたくて何かを見て電磁波や添加物といったものに敏感になり悪循環に陥ったのでは、と推測している。(この人に関してはやりとりが難しいので憶測になる)

結果、まるで人が変わったように表情は暗くなり、現在に至るまでもう10年以上引きこもりを続けている。 家には撮り溜められた物凄い数のビデオテープが壁一面に収納されている。内容は映画や特集番組から宇宙や宗教ぽいものまで、あまりジャンルの偏りはみられないが、一体何の目的で撮り溜め、見ているのかはわからない。 鬱病の通院はしているみたいだが、頭が痛くなる、体調が悪くなると言って人との接触は避けているようだ。食べ物へのこだわりも強いようで、自分が決めたごく限られた食材だけを摂っている。同居家族とのトラブルも多い。 私たちがたまに持って行く土産物も、たぶん口にはしていないと思う。

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後半の2人に関しては、正直付き合うこと自体が辛くて、コロナを機にもうほとんど関わってはいない。 申し訳ないが、一緒にいるとこちらも負の気持ちに取り憑かれてしまい、早く帰りたいとしか思わなくなるからだ。

ただ、これも彼らを孤立させ偏った思考に追い詰めてしまう一因なのかもしれないと思い、葛藤している。 幸い両親が面倒を見てくれているのでまだいいし、孫レベルのわたしたちに両親も責任があるとは思ってもいないし何かを求めてもこない、むしろ交流を避けさせているような雰囲気も感じるので、下手に出しゃばらないようにはしている。

初めの彼はまだ私よりも若いので、これから思考を少しずつでも変えていけば、変われる気がする。

ただ、あとの2人を見て感じるのは人生半ばを過ぎて気持ちが折れてしまうと修正が難しいということだ。 2人とも私の幼い頃は活動的でまだ明るい雰囲気があった。しかし年々暗く、重い雰囲気を纏うようになっていた。

コロナに関して何か活動をしているわけではないので昨今界隈を賑わせる陰謀論とは直接関連はないが、彼らがもう少し若く、YouTubeやネットに中途半端に触れられる距離にいたとしたら、反ワクチン反コロナ過激派にハマってしまっていたのではと思う。

はじめにも書いたが、人が何を信じて何を考えるかは自由だ。コロナワクチンだって強要されてはいない。打つときには必ず説明書きや同意書の記入の必要がある。メリットデメリット明記されていて、自己判断できるはずだ。

その接種の有無で海外渡航以外のところで制限があるのは私だっておかしいと思うし、改善の余地もたくさんあると思う。でもそこでワクチンは危険!打つな!!と強いるのは自己判断を操作しようとしているのでワクチン打て!!って言ってる人と何ら変わらない。

そう、ワクチンで言えば打つな!!って人も打てよ!!って人もそう大差ない。

ただそこから思考によって人が分断されていく、偏りが出てくる、過度なデモやデマの流布につながっていく。 で、そこにあるのはほとんど善意、"良かれと思って"だとしても、そのトップにいる人はお金儲けやマインドコントロールが目的であることがある。 人の素直な気持ちや、ほんの小さな心の隙に入り込んで、人の大事なものを奪う。

陰謀論やカルトにハマる人の多くは、素直で、まっすぐで。あるいは今までの人生どこかうまくいっていなくて、大きな挫折をしていて、その理由を何かに求めたくて、馬鹿にしてきた人たちを見返したくて、一発逆転をしたくて。 "何者か"になりたくて。

難しい説明書きや科学的なものは、頭のいい人たち(→自分たちを見下し操作したい人たち)が提示する物だから、きっと騙してくるつもりだから、信じたくない。 それよりも、自分たちを認めて肯定してくれる仲間やリーダーの"直感"とか"経験"を信じたい。

自分は人とは違う。特別な何かに気づいた。みんなが知らないことを知っている。みんなと違う考えを持っている。

YouTubeで言っていたから、ネットにそう書いていたから、ウィキペディアに書いてあったから。

今までなかなか周りに馴染めなかった。仕事も続かず人との距離が掴めず。自分の居場所がなかった。でもこの人たちは認めてくれる。

心身の不調は、誰かの陰謀。自分たちを否定してくる人たちが自分たちを監視し、毒を漏らしている。だから戦わなければいけない。

こういう思考になっていってしまうのかな、と思う。

感染症流行は人の流れがある限り仕方のないことで、未知の感染症の研究や対策の試行錯誤はこれまでも歴史の中で繰り返されてきたこと。ワクチンの効能に絶対はなく、副反応があるのも、抗体値が時間と共に下がっていくのも、これまでのワクチンと同じ。

でも、個々人の人生は人類の歴史に比べると圧倒的に短いので、大切な人生の2〜3年の間に行動制限がされたり、マスクの着用を依頼されたり、そういった今までとは違うイレギュラーな環境に対するストレスが、それを別の何かに起因していると思いたくなる人たちをいつの間にか追い詰めていったのが今回のコロナ禍における陰謀論の広がりだと思う。

人間の心がいかにイレギュラーに弱いか。 それを今痛感している。

私もコロナ禍が始まってすぐは、エンタメ的にYouTubeの都市伝説系動画を楽しんだ。でも中にはそれを真に受けてしまう人たちがいる。 オカルトは楽しむ分にはただのエンタメだけど、信じ込んでしまうとあっという間にニセ医学やカルトの餌食になってしまう。

(今回コロナきっかけで、医師免許のある人もトンデモ医学を自費診療として高額提供する人がたくさんいるのだと知って怖くなってしまった。まあ医者もビジネスだし、みんなが風邪ひかなくなったら商売上がったりだもんな、、)

というわけで、ネットの陰謀論界隈観察はもう少し続けるけど、親戚たちには早く元気になってほしいし、今後あのナントカQ以降に過激な活動を行う団体が出てこないことを祈っている。

適切な感染症対策が残り、それ以外の楽しい日常が早く戻ることも期待している。

マスクするしない論争について

わかる。わかるよ。私もコロナのあれこれに一喜一憂しマジなんなん?コロナもうええやろはよ滅亡せえや、とか、いつまでこんな対策せなあかんねん?ここまでするのは過剰ちゃうか?と思う。

でもさー

「マスクを外そう!日本人は人の目を気にしすぎ!」 みたいな発言を見ると え??????と思うのよね

えっえっ みんな人の目気にしてマスクしてたの??? 移さない・移らないためではなく???

というね。。

あのー私の感覚としてはコロナ禍初期こそあれだけど、基本的にマスクをそこまで誰かに"強要"されていると感じたことはなくて。 なので、人がだーれもいない屋外を散歩したりするときは外してるし(花粉酷いときはしてるヨ)、人とすれ違ってもこの距離ならいける、と思えばしない。

だって息苦しいもんね。わかるよ〜

でも今が感染症流行期なのは変わりないし、公共交通機関やお店やイベント会場とかはマスク着用してくださいって書いてるやん。だから従って着用するんやん。 親戚でたくさん集まる時も距離近いとリスクあるから適宜着用するやん。

それでよくない?みたいな。そこでゴネる人って店や他人の家に入る時靴脱いでくださいって言われても脱がんのか?たとえ靴下がダサくても穴あきでも、脱ぎ履きめんどくさいロングブーツ履いてても脱ぐやん。 私的にはそれと変わらんのよねーエチケットというか、その場のルールに従うというか。

行く場所の公衆衛生や安全ルールとしてマスク着用や土足禁止があるなら、その表記を理解できる人はそれに従えばいいだけなのに、土足禁止は守れてマスク着用を守れないというのはちょっと理解できない。 不快感に差があるとはいえども、行くなら従う、従えないなら行かないというのは何ら変わらないと思う。

そりゃあね。コロナ前はやってなかっただろ!!って言えばそこまでだしそれはそう。なんだけども。 じゃあ今までみたいに他人に涎や唾とばしまくっていいのかい?というところではないかなと。 私たちがこのコロナ禍で学ぶべきことがあるとすれば、公衆衛生への意識改革じゃないのかと。

たとえば、コロナの死者の話をするとインフルでも人は死んでる!と言う人がいる。うんそうね。私もインフルで死んだ人知ってる。重篤な後遺症や障害の残った人も知ってる。

でも、私の感覚的にコロナ以前ってちょっとやそっとの体調不良なら学校や仕事に無理して行く人が多かった。 鼻水、喉の痛み、微熱、でも休む程じゃないかな。で、そこからしぶとい風邪やインフルが流行って人手不足や学級閉鎖…というパターンを知っている。

実際自分も学生時代、それは発症がバイト中だったから仕方なかったけど、多少フラついても働かなきゃ…と思って無理をして、休憩時間に上がったら帰りの電車が地獄で吐きかけながら帰宅、結局インフル。職場は密室で繁忙期だったので、職場や車内の人にうつしてないかな、そればかり気がかりだった。 おかしいなと思った時点で申し出ていれば、と今なら思う。

今は少しの体調不良でも休みやすくなったと思う。 確かにコロナ関連の休みで人手不足になったけど、じゃあ多少しんどい人が無理して来てたらもっと広がって仕事どころじゃなかったのでは…と思うことがたくさんあった。なんたって周りの罹患者はみんな療養期間が終わっても1ヶ月くらい咳や喉の痛みに悩まされていたから。(特に転職のタイミングでワクチン打てなかった…という後輩がめちゃくちゃしんどそうだった)

療養期間とか、無症状の人や濃厚接触者の扱いとか、見直す部分はたくさんあると思うし、個人的にはもっと軽減していいところがあると思う。雰囲気でマスクやワクチンを強要されていると感じる人がいるのもなんか違うし。でもそれはそれとして、これを機に体調の違和感とかで休んだりしやすい世の中になってもいいのではと思う。この体調の違和感とは心身の両方を指す。

それから、エチケットとして体調に不安のある時は念のためマスクを着用するとか。 飲食店のキッチン担当はマスクを着用するとか。

そういう感染症に対する考え方や衛生観念はコロナ禍から学べるのでは?と思うのです。

マスクが100%菌を防ぐものではないのはわかってるし、感染症対策の全てでもない。 でも、何もなしでくしゃみやおしゃべりをするのとマスクを着用してするのとでは飛沫の加減は全然違うはず。

というかどんなことにも100%などないのですよ。 マスクをしていてもその扱いが雑であれば逆に感染源にもなり得るし、手洗いうがいをしようがアルコール消毒しようがなるときはなる、その通り。 でもだからってしなくていいとはならないでしょ?

嬉々として感染症に罹りたい人なんているか? 免疫獲得と言ってしまえばそれまでだけど、少なくともインフルにすすんでかかりたい人なんている? 冗談で「休めるじゃん」って言うことはあっても、あんなしんどい感染症まず罹りたくない。

そして、移したくない。 大切な人に、身近な人に、職場の人に、すれ違う人に、うつしたくない。 その人は基礎疾患があるかもしれない。感染症に弱いかもしれない。 自分だけが良いなんてちょっと都合が良すぎるんですよ。

自分の職場でいえば、コロナ以前からとても感染症対策の厳しい現場だった。 医療機関ではないけれど、基礎疾患のある人が毎日継続して利用する施設で、それこそインフルや指定感染症どころか健康な人からしたら"ちょっとした風邪"レベルでも入院、命を落としかねない、もしくは以前それで後遺症や障害の残った人たちを相手にする職場。 その人たちは入所しているわけではなく通所で、普通に日常生活を送っている。

マスクは感染症流行期(10月頃〜3月頃の約半年間)はしていたし、それ以外の期間でも免疫の問題で感染症要注意の人を相手にするときは年中マスク。 玄関にはアルコール消毒。公共交通機関を使う人は着替え必須。 下痢や鼻水、咳など少しでも体の不調のある利用者がいたら他の利用者と物の共有を避け距離を取る。場合によっては利用確認の電話をする。

通所なので他所からウイルスを貰ってしまう人はいた。 それでも、現場では対策をしていたので滅多に蔓延はしなかった。うつるのはたいてい自分達で距離を詰めてしまうかマスクを着用できない利用者間だった。利用者⇄職員パターンはレアだった。

そういう実績があるので、コロナ後はより細かなマニュアル+フェイスシールドなどの新たなアイテムは増えても、そこに疑問は出なかった。 ただし、科学的根拠や費用対効果の低いもの(空気清浄機や置き型除菌剤?など)は利用していない。これはサポートをしてくれている医師にも助言いただいた結果だ。 そのおかげか、コロナ禍においてもいつもの感染症のように他所から貰ってしまう人は多くても施設内では蔓延しなかった。

確かにコロナ前はマスクなんてしたことがない、手洗いうがいも適当、アルコール消毒何それ?飛沫なんて避けられないだろう…みたいな感覚の人からしたら窮屈で仕方ないと思う。マスクをしている人は人の目を気にしている、同調圧力だと思われても仕方ないのかもしれない。

でも少なくとも私の感覚からすると、できる対策をするのは自分のためにも他人のためにも当然で、大切なことだ。 だから私はこれからも手洗いうがいはするし、感染症流行期はマスクを着用する。

別に"コロナはただの風邪"でいいんですよ。というか突き詰めればそうだし。でも私は大切な人が"ただの風邪"から肺炎に至って障害が残ったり命を落としたりするのは見たくない。

感染症対策の見直しは必要だけど、根本的に"感染症対策"とはどういうことなのか、ということは、もっと一人ひとりがコロナを機に考え直すべきことだと思う。 人の目がとか、国民性とか、そんなことではなく。

思てたんと違うマタニティライフ〜妊娠中期〜

つわり地獄だった妊娠初期を経て安定期に入ると妊娠中期。 あの苦しい日々が嘘だったかのように食欲が戻り、味覚嗅覚が戻り、とにかく食べに食べたのがこの時期だった。

体重はみるみる増えていき、結論から言うとこの期間に10kg近く太ってしまった※注意されなかったとはいえ一気に増えすぎ、、参考にしないでください

仕事にも身が入るようになり(と同時につわり期間の仕事のボロボロさを痛感した…)毎日元気に過ごせた。 お腹が出てくる時期ではあるので電車内で座れるよう通勤時間をずらさせてもらったりはしたが、吐き気がないだけでずいぶん楽だった。

この時期というと胎動を感じるようになってくる。 これまで健診でしか生存確認できなかったのが、自分でもなんとなく「おー今日も元気だな」と実感できるようになる安心感があった。

胎動といえば「あっ!今、蹴ったわ!」みたいなイメージがあるが、実際にはもっと段階的。 初めの頃は、なんとな〜くお腹の奥の方がコポコポ?うにょうにょ?動く感覚で、正直自分の腸の動きなのか子の動きなのかよくわからない。 確証を得られるのが"しゃっくり"だ。胎児はしょっちゅうしゃっくりをする。お腹の中で一定のリズムでピクつきがあれば、これがしゃっくり。一番わかりやすい胎動である。

初めはなかなか動きが表面に現れてこないので、夫に腹を触らせてもわからないようだった。 あと、胎動は母親がリラックス状態にある時の方が現れやすいようで、いざ手を当ててもらうと動きがピタッと止まることが多かった。こども相手の仕事だったので、自分の妊娠を気にかけてくれる子に感じて欲しかったのだが、ついにその時はこなかった。残念…。

中期は子も凄まじい勢いで大きくなるので、それに従って胎動も強くなってくる。 動きも活発になり、エコー診察中に動いたりもするので、見ていて結構面白かった。「生きているな、ちゃんとひとりの人間なんだな」としみじみ思った。

中期の終わりくらいにはお腹に手を当てる夫にもわかるくらいになってきたので、夫も嬉しそうだった。 男親と女親に責任の差などないことは前提として、そしてその女親ですら妊娠=親の自覚になるわけではないことも踏まえた上で、それでも妊娠ということが女にしかできない以上、男の人が親の自覚を持ちにくいのは生物的特徴からのみ致し方なさは感じていた。 なのでその分、夫にはしつこいくらいお腹を触らせた。繰り返すとなんとなく触れた時に蹴り返す様子も出てきたり、音や動きに反応していると思われることもあったので、夫も楽しそうだった。

性別がわかるのもこの頃からで、エコーの角度や子のポーズにもよるが、うちに関して言えば中期に入ってすぐにわかった。広げた股の間に"ついて"いた。

ちなみにそれまで夫婦の間で、性別に関係なく呼んでいた名前があったのだけど、いざ男児だと言われると悩み、どちらからともなく違う名前にしようか…となった。不思議なものだ。身体的性別だけでレッテルを貼るようなことはしたくはない一方で、このように育ってほしいなとも思うので、名付けは難しいと思った。将来、本人の希望があれば変えてくれて構わない。

中期で悩まされたのはお腹の張り。 仕事で動けてしまうので、つい頑張っていた。管理職からは何度か使える休みを使うよう伝えられたが、コロナで人手不足が重なり、またさまざまな点において締めの迫る年度末に休むわけにもいかず、妊娠前と同じくらい残業もしていた。 働いている間は無理をしているつもりもないし、力仕事も軽減してもらっていた。それでも帰る頃にはヘトヘトで、駅まで本来10分以内に着くはずなのに、倍ほどかけて歩いていた。ただでさえ早く歩けない。そして、お腹の張りで何度も足を止めた。

職場にいる間はよくても、移動時は体の変化と疲れやすさ、お腹の張りにずいぶん左右された。 無理をすると出血などにも関わってくるので、やはり理想ならもっと仕事を周囲と分担して定時で切り上げるくらいがよかったのだと思う。奇しくもコロナで叶わなかったが…(休みなく続けて出勤できたのが自分くらいしかいなかった)

駅や量販店のベンチで休憩することも増えた。コロナで間隔を空けなければならないのでスペースは限られたが、それでも座る場所のあるありがたみ。日常生活の中で、呼吸を整えお腹の張りを休めるという時間が必要になってきた。

嬉しい誤算だったのが、なぜか便秘が解消されたこと。 妊娠初期は薬を使わないと出ない、しかし薬ですら吐いてしまう…みたいな悪循環で苦しかったのが、お腹が圧迫されるようになったからなのか薬を飲まなくても2〜3日に一回自然な便意で出るようになった。 実は妊娠前から慢性的な便秘に悩まされていたので、これは意外だった。ただやはり基本は便秘体質で直腸に溜まりやすいのか毎日快便!といかないところは苦しかったな、、残便感というか、毎回固いのを無理やり出す感じでするっとスッキリ!とならないのがなんとも。ただ服薬しないで出るのはとにかくそれだけで嬉しかった。 調べてもあんまり出てこないので、これは自分だけの現象だったのかな…

あとは膀胱も押されるようで、トイレの頻度が上がってきた。元々睡眠時に尿意で起きることなどまずない体質だったのが、夜中に尿意で目が覚めたり、外出先でも尿意を感じるとすぐトイレに行かないといけなかったり…

不便だと思ったのが和式トイレ。いや、たぶん、古の妊婦は頑張っていたのだと思うよ…でも現実には和式しかない駅のトイレに駆け込んだ時に何度か後ろに転びそうになったor実際転んだのでやっぱり公衆トイレに1部屋は洋式欲しいっす…。。皆さま気をつけて…

と、このように悪阻を除けば少し快適になったような気がする妊娠中期だけど(というかつわりの不快さが人生の中でも飛び抜けすぎている)、いわゆるマイナートラブルが一気に増えるのも中期。 安定期に入ったとはいえ胎盤が完成し流産の確率が下がったくらいで、身体としてはむしろどんどん変化する時期なので色んな面で管理が必要になってくる。

今まで健康面に課題が少ないタイプだっただけに、落ちたものをすぐに拾えない、たくさんの荷物を持てない、何をするにも時間がかかる、うつ伏せになれない、休憩が必要…など、"思うによう動けない"ただそれだけでもストレスが蓄積されて意味もなく涙が出ることが増えた。 私は何もできない、こんなんで母親なんかになれない。典型的なマタニティブルーだったと思う。

1年もしないうちに、身体がどんどん変化するのだから、戸惑わない方がすごいと今なら思える。でも渦中にいるとなかなか気づけない。自分に自信がなくなって、気持ちに波が出る。それで何度か夫にも「じゃあどうしたらいいの?」と言われた。「色んなことが不安、ただ話を聞いてほしい」と素直に言えば良かったのに、その時はうまく言葉にできなくて大泣きして困らせてしまった。

つわりのような明確な体調不良がないだけに、自分でも言い表せない心理的不調というか、不安というか。自分が自分でなくなってしまったような感覚があった。

よく、女の人は妊娠できるから母性本能が云々〜と言われるが、あれに関しては自分は懐疑的だ。たぶん母性本能などない。1年近く自分のお腹の中にいたという事実がいやでも責任感に繋がるだけで、本当は大半の妊産婦さんは男親と同等に不安や自信のなさ、戸惑い、わからなさがあると思う。

妊娠生活を送っていて、お腹の子を愛おしく思うようになったのは、たぶん意識的なもの。手放しに愛おしいというよりも、自分のお腹にいるのだから自分が愛でないと、という義務感の方が強いと思う。少なくとも自分はそう。

決して愛情がないとかそういうものではない。ただ、愛情というのが全くの無条件で芽生えるものでもないという体感。 それは、胎動が自分の意志に関係なく感じることからくるのかもしれない。お腹の子は自分の子どもではあるけれど、自分とは確実に全く違う1人の人間であるということ。 その事実が、不安にも愛情にも繋がるのではないかなと思う。

それから、自分の場合妊婦健診に通っていた病院では産めないので後期に入る頃には転院予定だったのだが、出産において多少のリスクがあることが判明したので早まったりした。改めて、お産はリスクと隣り合わせ、命懸けなのだなと実感した。

思てたんと違うマタニティライフ〜妊娠初期〜

今までの記事と毛色が全然違うのだけど、自分の妊婦生活についてどこかに書き残したかったので書く。

今回は妊娠初期(1〜4ヶ月)について。

妊娠に気づくきっかけは、やはり生理の遅れ。 私の場合はほぼ不順なくちゃんと来ていたのだけど、35〜40日と周期にバラつきがあって、アプリの予測から1週間遅れるとかもよくあったので長めに様子を見た。

予定から2週間経ってもこず、心当たりもあったのでひとまず妊娠検査薬買うか!!となる。 (ちなみにたいていの検査薬は生理予定日から1週間空けば正確な結果が出ると言われている)

人生初☆妊娠検査薬購入@いつも行ってるドラッグストア。 なんかも〜はじめてのおつかいばりに緊張した。 あとなんか種類いっぱいあってよくわからなくて 2本入ってる中で一番安いやつにした←

買ったのにしばらく緊張して使えなくて(なぜ)購入から2日後くらいに夫に促されていざ検査。

結果、めちゃすぐ出た。安物でも大丈夫。 陽性。

わ〜まじか〜!! となった。

もちろん欲しかったので嬉しい、ただ仕事をする上でのタイミングとしては微妙だった。 いや、本来ならとてもいいタイミングのはずだったのだが、この時期にあるはずだった大きな仕事がちょうどコロナの影響で延期決定した頃だったので、めちゃくちゃ葛藤した。

予定であれば大きな仕事を終えたタイミングで妊娠を報告し、次年度の人事異動を止めてもらい、切り替わりのタイミングで産休に…と綺麗だったのに。。

結果大きな仕事は別の人に代わってもらうことになった。快く引き受けてくれたが、申し訳なかった。

あと、立ち会いも面会も難しい、さらに緊急時にしっかり対応してもらえるかわからないこのご時世に妊娠するのはどあなのだろう、でも体力や年齢的には30代になるまでに1人目を産んでおきたい、そもそもこんな世の中に新たに生命を誕生させるって無責任??みたいなもう色んな感情が芽生えてきて大変だった。

というわけで、インスタとかでよく見る感動的な妊娠発覚!!にはならなかったけど、できたからにはしっかり守ってやらねば!責任! と腹をくくり、近くの産婦人科を探すことにした。

徒歩圏内に少し前にお産をやめてしまったが妊婦健診はしていますよ、産院も紹介しますよというクリニックがあった。土曜診療もしている。 自家用車のない私はひとまずそこに通うことにした。

本当は女医さんがよかったけど、そこのベテランおじいちゃん先生も優しく、行ってよかった。 人生初のウィーン、パカッ!の内診台はメンタルをゴリっと削られたけれど、人間としてはなんか一皮剥けた気がした。

胎嚢も心拍も確認できた。 今までずっとどこか他人事のようだったエコー写真に、そら豆みたいな小さな命が宿っていた。 あら、こんな感じなのか。 自分の子どもなのに、エコー写真にちょっと人見知りした。

7週目。「おめでとうございます。ただ、それにしては少し小さめなのでまだ母子手帳は貰わないでください。10日後確定させてからでお願いします」と言われた。 妊娠○週目というのは最後の生理から数えるので多少の誤差が生じる。私は周期も長めなので、まあそんなもんか、と思いつつ、この小さな命はまだちゃんと育つかわからないのだなと思った。

少しどぎまぎしながら、自分の子宮に必死にしがみつく小さなそら豆に思いを馳せて家まで歩いた。 不思議な気持ちだった。 私は2人分の命を抱えて歩いているんだ。 自分の家に帰るのになぜか緊張した。ドアを開けたら夫が玄関に布団を敷いて寝転んで待っていたのですぐ笑ってしまったけど。

10日後再び受診すると、前のそら豆がもう頭手足のわかる人の形になっていてびっくりした。

週数を認定してもらって、母子手帳を貰いに行った。

ちなみに母子手帳貰いに行ったら、計10冊くらいの副読本やチラシをもらった。マタニティマークもここでもらえる。 保健師さんがひとつひとつ丁寧に説明してくれ、メンタル等の聞き取りもしてくれた。

仕事を1時間休んでちょっと寄って…と思っていたので予想外の丁寧さに(間に合うかな…)と焦ったけれども、サポートの手厚さは心強かった。

この頃から、つわりの症状が出てくるようになった。 初めは胃のなんとな〜くのムカつき。 空腹時の不快感。 でもまだ許容範囲だった。

私には謎の自信があった。 これまで健康優良児的に生きてきたからか、きっとつわりも軽くで済むんだろうな〜と思っていた。

甘かった。

空腹時の不快感は数日で猛烈な吐き気に変わり、えずきが始まった。それもウッ…みたいなドラマな感じではない。 ボェェェみたいな全力のえずきだった。

それでもまだ吐くには至らなかった。 私はどれだけ酒に酔って気分が悪くなっても滅多に吐かない、いや吐けない体質だったので、とにかく吐き気がおさまるまで水を飲んでやりすごした。

が、それもすぐに限界を迎え、私は袋をかぶせたバケツに吐いた。本格的な嘔吐なんて何年ぶりだろう…とただ呆然とした。

そのうち食べたものが吐き気で全て出てしまうようになり、さらに匂いという匂いがほぼ全てダメになった。 よく言う炊き立てのご飯、とかそういうものよりも、新品の機械の匂い、柔軟剤の匂い、にんにく、たまねぎ、大好きなお出汁やめんつゆもダメになった。

食べられるのはコンビニに売っている無臭で温かみのないのスティックパン、サンドイッチ、塩むすび。あるいはゼリー飲料、カロリーメイト。 飲めるのは水か、たまのルイボスティー

それでも吐くときは吐く。 もはやルールがわからなかった。 常に荒れる海で漁をする揺れる小型船の上に乗せられ、生活を強いられるような拷問。

夫とはつわりのひどい約2ヶ月間ほぼ食事を共にすることはなかった。(食事も全部各自で用意) 私がえずきはじめると、夫は無言で袋付きバケツを持ってきてくれ、床にぶちまけてしまったときは何も言わずに拭いてくれました…ありがとうありがとう。。

それでも不思議なことに、私の場合仕事は行けたんですよコレが。

アドレナリンが出るのか、この時期に大きな仕事を抱えていた責任感なのか、社畜根性が変に働き船酔いのフラフラ状態でもなんとかフルタイムやっていました。丸1日休んだのは数回かな?

ただこれはおススメしません。たまたまできただけです。 つわりがひどい人は休んでほしいし、つわりがなくたって不安定な初期に無理する必要は全くない。

私の場合は仕事が生活リズムの基盤になっていたのと、ひとつの精神安定になっていたことが大きいです。 行かないほうがしんどくなりそうだったという判断。

実際職場でも何度か吐き気を催し、3度はトイレで吐きました。1時間ほど横にならせてもらったこともあります。 空腹時に隠れて補食もしました。 仕事帰り、家にたどり着く前に我慢できず孤独に道端で袋を持って吐いたこともある。 今思うと全然健康的な働き方ではなかったし、判断が鈍って迷惑をかけたこともありました。無理すな。

ちなみにつわりは胃のムカつきから考えると丸々2ヶ月間(8週目〜16週目)続いた。家計簿つけてたけどほんとにその間2回しかスーパー行ってなかった(色んな匂いがする+広くてしんどい+食事はコンビニで済ましていた)

ピーク時はほぼ毎日嘔吐、終盤は2日に1回、3日に1回…とだんだん空いてくる感じだったけど、14週目あたりで激しい目眩に襲われ1日4回嘔吐する日があってそれが一番地獄だった。 家では横になるか吐いているかで、仕事以外予定を全てキャンセルして外出もできず、誰にも会えず、汚いけど外出予定がなければ風呂にも入れなかった。ガシガシに固まった髪の毛を手櫛でときながら、バケツと共に室内を移動する日々…

私は一応空腹をカバーできるくらいには胃に食べ物(ほぼ同じものばかり)を入れていたので体重減少は1kgくらいで済んだけど、つわり時にひどい体重減少したり水すら飲めなくなる人もいて入院することもあるらしいのでほんとみんな無理すな。

ちなみにこの時期もう一つ辛かったのが便秘。 まじで出ない。ほっとくと5日とか出ない。 嘔吐で水分が出てしまうからなのか出る気配すらない。 便意が消える。 酸化マグネシウム出してもらい飲んでました。

そんなこんなで辛すぎたつわりも、私の場合、安定期に入る16週に入ると嘘みたいにピタッと終わって、徐々に食べられるものが増えた。 あんなにつらかったのに、え〜うそ〜人体の不思議〜と思いながら食べたいものを食べられる幸せ噛み締めた。スーパーにも行けるようになり、柔軟剤も復活した。 この時期しばらく夫が「一緒に同じご飯食べられるようになってよかった〜嬉しい〜」と破顔していた。あなたも辛かったよね。本当ありがとう。

ちなみに年末年始のご馳走フィーバーとも重なったことで体重は2週間ほどで一気に6kg増えていた。 人体の不思議。

というわけで、色々思てたんと違う妊娠初期でした。

まだ出産していないので、今のところつわり時期が自分の人生において一番辛い時期と認定しています。

もう繰り返したくない…つわり…

私の場合は夫が本当に献身的で(それでも初めはちょっとめんどくさそうだったけど。すぐに、あ、これ本気のヤバイやつだと気づいたみたい)、どんなに疲れていても食事の用意は〜とか俺の仕事着は〜とか言わず自分のことは自分でしてくれた上、嘔吐のフォローもしてくれたので乗り越えられた。

これ、一緒に暮らす人が冷たかったら絶対乗り切れない。

子どもは特別な事情のない限り、2人の子どもです。たとえ片方のお腹に宿っていようと、守る責任は2人共にある。 妊娠中のパートナーへの言動はよく考えてあげてください。

『これは経費で落ちません!』にハマったら人生初の恋人ができて結婚した話 その後

またまた前の記事から約1年。

コロナはまだおさまらず、むしろ身の回りで感染者が激増したがなんとか自分は無事という感じだ。 周りの人は大体後遺症含め1ヶ月は苦しんでいたので、やっぱりなりたくはない。

経費〜のドラマの続編はやっぱりないけど、いつまでも待つ。私の数少ない楽しみだ。 小説やマンガが続いているので、それぞれ楽しんでいる。 小説はビジネスシーンの転換期、マンガはきゅんきゅんを丁寧に、それぞれ描いてくれるのでそれぞれに良い。

さて、自分はというと第一子を妊娠した。 経費〜のドラマを見ていた頃には想像もしてないなかった人生の展開を迎えている。

7年間、駆け抜けてきた仕事はまもなく産休に入る。

正直手応えよりも反省点の方が圧倒的に多い7年間だったが、それでもいざ、初めて長い休みに入ると思うと言葉では言い表せない不安がある。

所属先は残るとはいえ、少なくとも約1年は現場から離れることになる。 引き継ぎは上手くいくだろうか、新体制はどうなるのか、毎日仕事を休むとなるとどう過ごせばいいのか、お金は大丈夫だろうか、復帰のし方をどうするか、うまく復帰できるだろうか。。

さらに、産む頃には収まっていると信じいていたコロナがまだ収まらないことで、立ち会いや面会ができない出産。

それにまだまだ安定しない世の中。

最近ではロシアとウクライナの問題で心が痛む。 民間人の苦しみは他人事ではないし、子どもが巻き込まれている情報も多く無力感を感じる。

正直日本にいるとどちらかに偏った情報ばかりが入ってくる傾向もあり、それもまた苦しい。

夫は相変わらず優しい。 私には勿体無いくらいよくできた人だと思う。

2人で日々大きくなるお腹を撫でたり、出産準備品の用意をすることはとても充実した毎日だ。 出産に伴い色々なリスクも出てきて夫にも協力してもらわないといけないことが出てきたのだが、その前から何もかも一緒に考え行動できる関係ができていたので心配はなさそうだ。感謝しかない。

そう、お互いや新たな命のことを考えているときだけはとても心が穏やかにはなる。

でもふと世の中を見た時、私は心をどこかへ持っていかれそうになる。

元々、自分の人生や生きることに関して人よりも執着のないタイプだと自覚していた。

楽しいこと、好きなことは多々あれど、ふと冷静になった時に譲れないものは何かと考えても正直出てこない。 どこか乖離した自分がいて、常に外から自分の言動をとても他人事のように見ている感覚があり、特に学生時代はそれに悩んだ。

簡単に言うと、"自分"がない。

自分よりも他人が気持ちよくいてくれることに言動の意味を見出すタイプだった。 聞こえはいいが、経験上それは時として矛盾を生み、結果自分を苦しめる。

なので、私の人生はあの時どうしてああしてしまったのか、みたいな後悔や罪悪感ばかりが残りがちだ。

なので今も、1人の時間には過去の自分への後悔ばかりが先行し、気持ちが暗くなる。

夫がいない時に、今やこれからのことを考えることは難しい。

おかしい、ずっと1人で生きていたはずなのに。

誰かと一緒に生きることを知ってしまった今、自分ひとりで自分や周りのことを考えることが難しくなってしまったのだ。

一度乖離していた心が徐々に自分に近づいてきたのに、夫と出会うことで今や未来を考える自分の登場と共に、その影として再び現れてしまった気がする。

むかし、支えてくれる夫や恋人がいるのに心を病む人の気持ちが私にはわからなかった。 頼る人もなくがむしゃらに働いて趣味を楽しみ生きるしかなかった自分には、病むことを遠ざけようと必死だった。

今ならわかる。 大切なものが増えるほど、それだけ気持ちが揺らぐ人の気持ちが。

今まで心を痛めるだけだったニュースや情報が、大切な人や子どもの人生にも関わってくるのだという実感。

自分の無力感が、大切な人にも影響を及ぼしかねないという可能性。

この状況になって自分の空っぽさが引き立つというか、学生時代に悩んだ「人は何のために生きるのか」みたいな疑問が再び襲ってくる。

だからといって、何か心が蝕まれる症状が出たり、希死念慮があるわけでもないのだけれど。

毎日、楽しく幸せなはずなのだけれど。

ふとした時に漠然とした不安が頭をよぎる。

それがいまの悩みだ。

森若さんは元気だろうか。

こんな時、森若さんはどう過ごすのだろうか。

『これは経費で落ちません!』にハマったら人生初の恋人ができた話 その後

前の記事を書いてから約1年。

コロナは収まるどころか拡大した。

オリンピックは延期になった。

ドラマ『これは経費で落ちません!』の続編はまだない。

しかし

多部未華子さんはご結婚された。

重岡大毅さんは主演ドラマが決まった。

角田晃広さんや伊藤沙莉さんが大豆田とわ子〜で大活躍していた。(好きなドラマ)

この1年も、たびたび『これは経費で落ちません!』のことを考えた。

ドラマの中の太陽は、香港出張もそろそろ佳境か。 それともコロナの影響で緊急帰国しているだろうか。 森若さんは新体制の中でどう働いているだろう。 旅館も大きな顧客である天天はコロナ禍でどうなっているだろうか。

妄想だけが膨らんでいく。

私といえば、1年前の記事に書いた彼と、結婚した。

交際約1年で入籍をした。

このご時世なので結婚式も新婚旅行もないけれど、夫となった彼と一緒に毎日を過ごしている。

念願かなって、今も変わらず同じ職場で働いている。

人生、何があるかわからない。

2年前の、1人で過ごす時間が何より大切だった自分に言っても、きっと信じない人生の変化。

きっかけは、ひとつの作品だった。

『これは経費で落ちません!』という作品に出会わなければ、きっと今もなかった変化だ。

この作品に出会わなければ、恋愛に一歩踏み出すことはなかったし、結婚すれば自分が自分でなくなると勘違いしたままであった。

恋愛は楽しいし、

結婚しても、自分の仕事や趣味はなくならない。

本当に、楽しい毎日を過ごしている。

多少痛くとも、自分を森若さんだと信じて過ごしたあの日々が、もたらしてくれた今だ。

ふとこの記事を思い出し、読み返して、書いてみた。

誰かの目に留まることがあったら、そっと背中を押せますように。

そして、ドラマ『これは経費で落ちません!』の続編がいつか見ることができますように!!!!!!!笑

『これは経費で落ちません!』にハマったら人生初の恋人ができた話

27歳、彼氏なし。入社5年目の一人暮らし。

仕事とプライベートはきっちり分けたい派。

趣味は一人映画とセルフネイル。

いただいたお給料で時々自分にご褒美を買ったり、旅行に行ったりする。



これは、約1年前の私である。



そして、『これは経費で落ちません!』の主人公、"森若さん"との共通点でもある。




2019年7月期NHKドラマ

『これは経費で落ちません!』


とある会社の経理部を舞台としたお仕事ドラマでありながら、主人公 森若沙名子の"アラサー・人生で一度も恋愛経験なし"という、「これは私か?」という設定に心を掴まれ、ドラマが始まる前には当時出版されていた原作小説とそれを元にしたマンガを全て買って読み込んだ。


さらにドラマが始まるとどハマりし、同じ話を週の間に何度も繰り返し見た。



私は事務職ではないし、森若さんほどきっちりバリバリ仕事ができるわけではないが、就職して5年目となり、一応それなりに責任ある仕事を任されるようになっていた。


仕事に私情を挟むのは好きではないので、職場の人とは円満に付き合いながらもプライベートでの関わりは必要以上には持たず、淡々とやるべきことをやっていくことを優先した。

そのため、一緒に仕事をしたことのない人たちには、"怖そう"だとか"真面目"だとか思われているんだろうなと感じることもある。実際、初めて一緒に仕事をした人にはよくそんな第一印象の話をされる。


中身はただの20代で、可愛いものやカフェも好きだし、メイクやネイルも好き。映画や芸術や自然も好き。バンドもアイドルもお笑いも好き。

出勤時は仕事のことだけを考えている分、休みの日はできるだけ仕事のことは考えずに過ごしたいタイプである。


そして、彼氏がいない。

人生において、それまで一度も。



ただ森若さんと少し違うのは、合コンや紹介といった出会いの場には学生時代からそれなりに行っていた。決して徹底して恋愛を避けて通ってきたわけではなかった。

むしろ"みんなが経験している恋愛"というものには興味があったし、お付き合いを申し込まれたことも何度かはあった。


けれどもどこかピンとこず、実際にお付き合いするには至らなかった。ただなんとなく出会いの場に行き続けているうちに、あれよあれよと27年が経っていた。




ここで抑えておきたいのは、私には結婚至上主義/恋愛至上主義的な思考は全くないということである。

恋愛をして幸せなら、結婚をして幸せなら、してみたいとは思うけれど、そうでないなら無理してする必要は全くないと思っている。

人生における幸せは人それぞれで、いろいろな形があっていいと、今現在も思っている。


これは自分にも、他人に対しても、である。



だから、"27歳だから"といって"焦って"いたわけではない。


ただ、周りが結婚、出産、土地を買っただ家を建てただ、そういう会話をしている中で、何か漠然とした、もやもやした気持ちを抱えるようになっていた。

同世代の友人たちと比べてというよりも、それを"経験しないまま現状に満足している"自分に対して、そういう意味での焦りはあったのだと思う。



自分は今、何一つ不自由なく暮らしていて、満たされていると思っている。


でももしまだ知らない世界があるのならば、恋愛をすることでさらに満たされるものがあるのならば、自分だってしてみたい。


してみて、自分には違うなという結果になってもいいので検証してみたい。


そういう気持ちがあった。




さて、ドラマが始まると、主人公を演じる多部未華子さんがとにかく可愛くて引き込まれた。


原作小説を元に、ドラマとして少しオーバーに描写されたり、細々改変があったりしながらも、芯の部分はそのまま引き継がれているように感じた。


重岡大毅さん演じる山田太陽は沙名子よりも年下。小説よりも少し可愛らしい感じで、沙名子への押せ押せが小説以上に強い(笑)

現実にこんな人がいたら自分は引いてしまうなと思いながらも、正しいことも間違ったことも真っ直ぐ伝える姿は少し羨ましく感じた。



このドラマでは、仕事に関しても恋愛に関しても、心に刺さる言動がたくさんあった。


中でも、プロポーズのシーンは印象的だった。


会社が買収されるかもしれない、仕事がなくなるかもしれないと自身の立場に不安を感じ始めた沙名子。そんな時、2年の香港出張が決まった太陽が沙名子に突然プロポーズをする。


「仕事がなくなっても大丈夫、俺が稼ぎます。俺が食わせる。家に帰って沙名子さんの美味しいご飯があったら頑張れる。僕と結婚してください」(ニュアンス)


TwitterのTLは沸いていたが、私はもやもやが止まらなかった。


俺が稼ぐ?食わせる?沙名子に働くの辞めて家で家事してくれと?何故君がそれを決めるの?


案の定、次の話(最終回)の冒頭で、森若さんは「プロポーズされたけど、あんまり嬉しくなかった」と。


その時、ああ、私はこのドラマに出会えて良かったと心底思った。

今まで恋愛ドラマを見てもどこかハマりきれなかったというか、完全にフィクションとしてしか楽しめなかった。ここまでのめり込んで、自分に置き換えながら見れたドラマはなかった。

森若さんに出会えたことで、もっと自分のことを考えていいのだと思えたし、それを相手に伝えながら進んでいく道があるのだと知れたのだ。



ドラマは最終的に、太陽が「沙名子さん、一緒に香港に、来ないでください」「待っててください」と伝える。

「太陽くんに他に好きな人ができたら?」と不安な沙名子に、「できるわけないじゃないですか」と笑い抱きしめる。


うわーーー!!!最高だなあ!!!

オイ!!!!!!!


このドラマのいいところは、沙名子は決して強いわけじゃないところだ。プロポーズにもやもやしながらも、不安だってあるし、弱さだってある。

バリバリ最強!なキャリアウーマンでも、キラキラ朝ドラヒロイン風でもなくて、ほんとに世の中にいるひとりの社会人の女性をうまく描いていたと思う。



続編、待っています(どさくさ)




…ドラマ紹介記事みたいになってしまったけれど。(DVD&Blu-ray出てるのでよかったら見てください)




さて、7月期のこのドラマが終わり、完全にロスった自分は、半ば自分を森若さんだと思いこみながら相変わらず仕事に勤しみ趣味を充実させていた。


そして、自分が森若さんであるのなら(末期)、人生の中でいつか最高のパートナーに自然に出会えるかもしれないと、なぜかスーパーポジティブになっていた。

変な焦りはなくなり、出会いの場にも無理して行くことはなくなった。



変な気負いがなくなって明るくなったし、責任ある仕事に少し余裕が持てるようになった。

実際この頃から、表情や雰囲気を褒められることも増えた。



ロスが徐々に収まってきた頃、友だちに誘われて参加した飲み会で、ひとりの男性にご飯に誘われた。

年下で、恋愛経験が豊富そうだった。ドラマよりは小説版の山田太陽に近い。後輩気質で体育会系。明るく、誰とでも仲良くできるタイプだ。


普段の自分なら早い段階で、きっと話が合わないだろう、世界が違うだろうと切ってしまうような人だ。



けれどもその時の私は"自分は森若さんだ"と思い込んでいたので、ご飯だけなら行ってみようかなと思ったのである。



彼とは本当に色々な話をした。

仕事のこと、趣味のこと、家族のこと。

私の話を否定することなく、楽しく会話を広げてくれる姿がいいなと思った。


そして、そんな彼とお付き合いすることになった。人生で初めて、私に恋人・彼氏という存在ができた。



本当に私の恋愛レベルは新生児と同じだったので、その家族とも友だちとも違う関係性に、今まで経験のない感情を抱いて、一喜一憂しながらも、現在も仲良くしている。

彼は私に恋愛経験がないことに初めこそ驚きつつも受け入れ、適度に気遣いながらもありのままで接してくれる。

私もまた、彼の私にはない考え方や価値観に刺激を受けながら、自分を偽ることなく今を楽しんでいる。

お互いがお互いに優しい気持ちを持っていて、それがとても心地いいなと思う。



ずっと一緒にいられたらいいねと話すが、この先私たちの関係性がどうなっていくかは誰にもわからない。

コロナのことがあって、当たり前だと思っていたことが当たり前ではない現実も知ったし、お互いの家庭や仕事の影響で思い通りにいかないことだってある。


けれども私は、少なくとも今は、恋愛をしていて幸せだなと思っている。

色んなことがあるけれど、毎日楽しいなと思えている。

できることならこの先もずっと、彼を大切にしていきたいな、と思う。





森若さんたちに出会えなければ、そもそもこの人と2人で話してみようとは思わなかったかもしれない。

『これは経費で落ちません!』という作品に出会えて本当によかった。小説、漫画版は今でも続刊が出ると必ず購入して楽しんでいる。

青木祐子先生、森こさち先生、これからも応援しています!



そして最後に!やっぱり!

ドラマ続編いつまでも待っています!!!